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失った姉3人に祈り 東区の倉野さん 記念式典に初参列

■記者 新田葉子

 5人きょうだいの姉3人を原爆で失って65年。広島市東区の倉野尚吾さん(74)は6日、初めて平和記念式典に参列した。大阪府の遺族代表に選ばれた妹の中道紀子さん(70)=大阪市=に寄り添い、「安らかに眠って」と祈りを込めた。

 倉野さんは、中道さんと一緒に遺族代表の席で式典を見守った。「あの日」まで笑顔の絶えなかった中山村(現東区)での祖母、両親との8人家族の暮らしが、よみがえった。

 20歳の長女悦子さんは、県産業奨励館(現原爆ドーム)の2階で事務員をしていた。遺骨は特定できなかった。次女妙子さんは16歳。学徒動員先の横川町付近(現西区)の針工場で犠牲になった。

 12歳だった三女瑞子さんは、学徒動員で鶴見町(現中区)へ。顔が腫れあがって真っ黒になり、腕の皮膚が垂れ下がった姿で帰宅した。「お母さん」の声でやっと姉だと分かった。「勉強しんさいよ」。そう言い残して3日後、亡くなった。

 倉野さんは毎年8月6日、妻と早朝に原爆ドームやゆかりの慰霊碑を巡ってきた。「式典はにぎやかなイメージがあるから」と距離を置き、姉3人を静かにしのんできた。

 中道さんも式典は初参列だった。「式典の厳かな雰囲気に思いが高まり、あらためて姉たちをしのぶことができた」と中道さん。倉野さんも「同じような境遇の人と一緒に参列し、祈りが通じる気がした」。平和記念公園を後にしながら、そう感じた。

(2010年8月7日朝刊掲載)

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