揮毫に浮かぶ亡き夫 愛知の小長谷さん 石碑に初対面
10年8月9日
■記者 岡本圭紀
愛知県遺族代表の小長谷佐喜子さん(82)は6日、広島市中区鶴見町の平和大通りにある「被爆者の森」を訪ね、亡き夫睦夫さんが揮毫(きごう)した石碑と初対面した。
1990年に完成した森には、47都道府県の被団協から寄せられた樹木が茂る。「ふたたび被爆者をつくらないとの願いを県木に託してつくられた―」。睦夫さんの手による文字が刻む。揮毫の経緯を示す資料は残っていないが、「つらい記憶を胸に押し込め、無心で書いたのでしょう」。
陸軍にいた睦夫さんは広島城(中区)近くで被爆。左半身に大やけどを負った。出身の静岡県に戻り、小中学校の教員を務めた。「原爆のことは話さなかった」という。睦夫さんは退職を機に一転、被爆体験を語り始め、平和活動に取り組む。米国でも体験を語った。約10年前に体調を崩し、昨年1月、83歳で亡くなった。
「体力が限られているのを自分で分かっていたのかもしれない。実直なお父さんらしい」。今は長女のいる愛知県一宮市で暮らす佐喜子さん。ペンダントに入れた睦夫さんの写真を見つめた。
(2010年8月7日朝刊掲載)
愛知県遺族代表の小長谷佐喜子さん(82)は6日、広島市中区鶴見町の平和大通りにある「被爆者の森」を訪ね、亡き夫睦夫さんが揮毫(きごう)した石碑と初対面した。
1990年に完成した森には、47都道府県の被団協から寄せられた樹木が茂る。「ふたたび被爆者をつくらないとの願いを県木に託してつくられた―」。睦夫さんの手による文字が刻む。揮毫の経緯を示す資料は残っていないが、「つらい記憶を胸に押し込め、無心で書いたのでしょう」。
陸軍にいた睦夫さんは広島城(中区)近くで被爆。左半身に大やけどを負った。出身の静岡県に戻り、小中学校の教員を務めた。「原爆のことは話さなかった」という。睦夫さんは退職を機に一転、被爆体験を語り始め、平和活動に取り組む。米国でも体験を語った。約10年前に体調を崩し、昨年1月、83歳で亡くなった。
「体力が限られているのを自分で分かっていたのかもしれない。実直なお父さんらしい」。今は長女のいる愛知県一宮市で暮らす佐喜子さん。ペンダントに入れた睦夫さんの写真を見つめた。
(2010年8月7日朝刊掲載)