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被爆65年 65年間は苦しみの連続/生きている限り供養を

 ◆原爆死没者慰霊行事(平和記念公園)
 原爆供養塔前に被爆者や遺族たち約400人が参列した。あいさつで、主催の広島戦災供養会の福島隆義会長は「原爆投下から65年たっても、被爆者の無念の叫びや苦しみは広島に刻まれている」と述べた。
 被爆者の堀本春野さん(81)=東区=は、相生橋近くの旅館で働いていた母を失った。遺骨は見つからなかった。「がれきの山で母を捜したことは忘れられない」。米駐日大使の平和記念式典出席を「来るのが遅い」。「親を失ってどれだけ苦労したか」と声を詰まらせた。

 ◆広島二中原爆死没者慰霊祭(中区中島町)
 本川沿いの慰霊碑前で、旧制広島二中(現観音高)の卒業生や遺族たち約300人が犠牲者の冥福を祈った。当時1年だった蔵田康幸さん(78)=東広島市=は、通学の電車が遅れたため生き残った。「将来ある仲間が突然、命を奪われた。生き残った自分が供養しないといけん」と力を込めた。観音高の生徒が、二中と観音高の校歌を合唱した。

 ◆国土交通省(旧内務省)原爆殉職者慰霊式(平和記念公園)
 原爆ドームそばの慰霊碑前で、遺族や職員約90人が黙とうした。入居豊子さん(77)=岡山市東区=は、職員だった母とともに、父も原爆で亡くした。参列は欠かしたことはなく、「体が元気な限り、平和を祈りに来たい」と話した。

 ◆広島赤十字・原爆病院原爆殉職職員ならびに戦没職員慰霊式(中区千田町)
 職員や元職員、入院患者たち約150人が参列。ラジオから流れる「平和の鐘」の音に合わせ、黙とうした。
 当時、病院に併設されていた看護師養成所の学生だった井口トシエさん(83)=中区=は実習中に被爆。顔や手にガラスが刺さるけがをしながらも、けが人の治療に当たった。「助けを求めるたくさんのうめき声が、今も耳から離れない」とうつむいた。

 ◆広島郵便局原爆殉職者慰霊祭(南区比治山町)
 職員や遺族たち約130人が焼香し、死没者288人を追悼した。安井健一さん(82)=中区=は、貯金部門の主事だった父を亡くした。「遺骨も見つからなかった。無念で仕方がない。今年も姉と、父をしのぶために来た」

 ◆県動員学徒等犠牲者の会原爆追悼式(平和記念公園)
 遺族や関係者、広島翔洋高(坂町)の生徒たち約250人が参列した。同高生徒会長の2年平下昂哉さん(16)が「核兵器に脅かされない世界を目指し、僕たちは争いと戦争を繰り返さないと誓います」とあいさつした。
 被爆者で同会副理事長の寺前妙子さん(80)=安佐南区=は「この65年間は苦しみの連続だった。われわれの年代が少なくなる中、若い人が平和を強く意識してくれるのが心強く、希望を感じている」

 ◆嵐の中の母子像供養(中区中島町)
 広島市地域女性団体連絡協議会の約140人が約1500羽の折り鶴をささげ、「原爆を許すまじ」を合唱した。吉岡恭子会長(67)=安佐北区=は「平和記念式典に米国代表も参加した今年は、世界が平和に向かっている年だと感じた」と話した。

 ◆県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼式(中区小町)
 平和大通り緑地帯にある慰霊碑前で、当時の生徒や遺族、皆実高の生徒たち約250人が黙とうをささげた。同窓会長の和田利子さん(80)=中区=は「生き残った同窓生も年々減っている。現役の生徒に体験を継いでいかねば」と誓った。

  ◆郵政関係職員原爆死没者慰霊式(中区東白島町)
 日本郵政グループ広島ビル構内の慰霊碑前に、遺族や職員たち約160人が集まった。爆心地近くの郵便局員だった父を亡くした浜崎悦子さん(71)=西区=は「父は遺体も遺骨も分からなかった。孫たちにも父のことを伝えたい」と花を手向けた。

 ◆県被団協(坪井直理事長)原爆死没者追悼慰霊式典(中区基町)
 県被団協会員の被爆者や遺族たち約200人がメルパルク広島に集まり、核兵器廃絶への誓いを新たにした。南七郎さん(86)=新潟県関川村=は憲兵隊員として広島入りし、被爆した。米駐日大使と国連事務総長の式典参加に触れ、「核兵器廃絶への期待が高まった。理念だけでなく実行に移してほしい」と願っていた。

 ◆原爆犠牲新聞労働者「不戦の碑」碑前祭(中区加古町)
 遺族や中国新聞社の元社員たち約60人が参列した。中国新聞のカメラマンだった父を原爆で失った金芳玲子さん(75)=兵庫県西宮市=は「碑前祭は、遺骨が見つからなかった父と会うことができる唯一の機会。体が元気なうちは、できる限り会いに来たい」と目を潤ませた。

 ◆広島大学原爆死没者追悼式(中区東千田町)
 大学関係者や遺族たち約100人が参列。慰霊碑に花を手向け、水をささげた。今年、同大関係で死没者名簿に32人が追記され、犠牲者は計1786人になった。
 山内幹子さん(79)=中区=は、広島女子高等師範学校付属山中高等女学校2年の時、被爆。体中がぷっくり腫れていた同級生の看病をした。「いとこの悲報を聞いた彼女は、周りが焼けただれて糸みたいに細くなった目から涙を流した」。あの惨状を二度と起こしてはならないと誓う。

 ◆広島市女職員生徒原爆死没者慰霊式典(中区中島町)
 広島市立第一高等女学校の卒業生や遺族、舟入高の生徒たち約400人が参列した。義姉が犠牲になった大塚宜子さん(72)=安芸高田市=は「多くの家族が原爆で亡くなった。1日かけて慰霊碑を巡りたい」と目を潤ませた。

 ◆旧制広島市立中学校原爆死没職員生徒慰霊祭(中区小網町)
 卒業生、基町高の在校生たち約380人が参列した。基町高2年小池桃花さん(17)と2年城佳佑君(16)が、折り鶴を慰霊碑にささげた。同高の合唱部が、旧制市立中学校の校歌を歌った。基町高同窓会の天倉国博代表(61)は「8月6日という日を風化させないでほしい」と呼び掛けた。
 生徒会長の2年飯田紗英さん(17)は「広島で起こったことを正しく理解して、世界に平和を発信したい。先輩の思いを引き継ぎたい」と話した。

 ◆国鉄原爆死没者慰霊式(中区東白島町)
 東白島公園の慰霊碑前に、遺族たち約120人が集まった。入江道子さん(67)=西区=は、広島駅に勤めていた義姉を亡くした。当時20歳。「娘盛りだったはず。私が生きている限り供養を続けます」

(2010年8月7日朝刊掲載)

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