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社説・コラム

社説 石原環境相発言 「金より古里」忘れるな

 通常国会も最終盤になって、安倍政権は想定外の火種を抱えた格好になろう。

 「最後は金目でしょ」という石原伸晃環境相の発言である。福島第1原発事故に伴う除染廃棄物などを福島県内で保管する中間貯蔵施設をめぐり、国と地元の交渉が難航している。そうした状況で飛び出した。

 報道陣相手とはいえ、弁解の余地はない。建設候補地の自治体や住民の「ばかにするな」という猛反発に加え、身内である自民党福島県議団からも抗議を受けたのは当たり前だ。

 石原氏はあれこれ釈明した末に謝罪したが、発言自体は撤回していない。それで許されると考えるのなら甘すぎる。

 野党側はきょうの参院審議で言い分を聞いた上で、問責決議案提出なども辞さない構えだ。安倍政権にとって数少ない「失点」であり、ここぞとばかり攻める材料にしたいのだろう。

 ただ閣僚個人の言葉じりの問題にとどめていいのか。こうした失言が生まれた背景を、十分に検証する必要がある。

 中間貯蔵施設の建設計画に、地元はなぜ慎重なのだろう。

 除染作業で出た汚染土壌や廃棄物は、今なお県内各地に置かれたままで復興の妨げにもなっている。それらを集め、国が買い上げる土地に「30年以内」を限度に保管するという。その候補地は原発事故現場に近い双葉町と大熊町の約16平方キロ。立ち入りが厳しく制限された「帰還困難区域」に当たる。

 一帯は3・11以前は豊かな田園地帯であり、まさに先祖代々の苦労が染みついた土地だった。先月末から16回に及んだ住民説明会の場で、不安の声が相次いだのも当然といえよう。

 確かに住民補償や自治体への交付金といった「金」の話もいずれ避けては通れまい。水面下のやりとりでは福島県の意向と国が想定する額に相当な開きがあるとも聞く。しかし、問題の本質はそこにないはずだ。

 今のところ30年たった後にどうするかは白紙である。「中間貯蔵」といいつつ、なし崩し的に最終処分場となるのでは―。もっともな住民の指摘に環境省はあいまいな説明に終始したという。そのこと自体、生まれ育った古里を失う人たちの苦悩に寄り添っているとはいえまい。

 まして説明会に1回も出席しなかった大臣が、地元は金目当てであるかのような暴言を吐いた。なかなか前に進まない交渉にいらだつ政府側の本音と見られても仕方なかろう。中間貯蔵施設の行方が、一気に不透明になったのは間違いない。

 早くも、内閣改造があれば石原氏の交代はやむなしとの見方もあるようだ。ただ大臣をすげ替えて済むのか。問い直されるのは政府・与党が福島に向き合う姿勢そのものであろう。

 安倍晋三首相は繰り返し福島を視察している。よく口にする「福島の復興なくして日本の再生はない」が、いつしか言葉だけになっていないか。

 放射能の不安に今なお直面する人たちが望まない原発再稼働の動き、一極集中を加速して被災地を置き去りにしかねないアベノミクスの負の部分。国と福島の間のすきま風は、さらに強まっていくかもしれない。

 「金よりも古里を返せ」という率直な憤りに、首相はしっかりと耳を傾けてもらいたい。

(2014年6月19日朝刊掲載)

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