×

社説・コラム

私の学び 周防大島文化交流センター学芸員・高木泰伸さん

昭和史 祖父の話で興味

 特攻隊員だった祖父は69年前の夏、知覧(鹿児島県南九州市)から出撃予定の日に、終戦を迎えた。「出撃の前日、草の上に寝転がっているとギメ(バッタ)がいた。自分は明日死ぬ。小さい虫でも『生きとるけん』と思い、そっと離してやった」との話が忘れられない。

 高校を卒業するまで熊本県山鹿市の実家で一緒に暮らした祖父は、戦争中の話をよくしてくれた。命の大切さ、戦争の愚かさを教えてくれた。そこから昭和史に興味を抱くようになった。

 2000年4月、広島大に進んだ。夏休みや春休みには、アルバイトで竹原市立竹原書院図書館に一日中こもって文書の整理に当たった。大学院時代は、広島大文書館で原爆・平和報道に携わった中国新聞社元論説主幹の故金井利博さんの取材ノートや写真、図書などを整理し、目録にまとめた。小池聖一館長から「文書の声を聞く」ということを教わった。「声を拾わないと文書に怒られる」という感覚が刻み込まれた。

 09年4月から働いている周防大島文化交流センターは、山口県周防大島町出身の民俗学者宮本常一(1907~81年)が残した膨大な資料を保存、公開している。  宮本に共感できたのは、村の「寄り合い」の描写にリアリティーがあったからだ。人の顔が見えて、土の匂いを感じた。祖父の言葉に影響を受けたからか、時代の証言を伝える仕事を選んだ。

 センターには、宮本が1950年ごろから約30年にわたり撮影した写真が10万枚もある。最初はどう向き合えばいいか手探りだったが、家の周りの石垣や畑、道の様子が少しずつ気になるようになった。宮本の写真の影響で、ものを見る視点が変わってきた。生活文化の資料として「風景」を重視し、人の営みを読み解こう、記録しよう、としていたのだと分かった。

 センターでは、これらの写真を手に、撮影地点を探す試みを住民や学校に提案している。宮本が地域に注いだまなざしを感じてほしいからだ。

 歴史資料の読み方が変わってくるように、宮本の写真の読み方も時代や人によって変わる。新しい意味を持ってよみがえる瞬間ともいえる。そこに、今の仕事のやりがいを感じている。(聞き手は久行大輝)

たかき・たいしん
 熊本県菊鹿町(現山鹿市)出身。広島大卒。2006年、広島大大学院文学研究科博士課程前期修了。専門は日本現代史。09年4月から現職。

(2014年6月23日朝刊掲載)

年別アーカイブ