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社説・コラム

社説 沖縄慰霊の日 戦争の痛みを忘れまい

 沖縄はきのう「慰霊の日」を迎えた。69年前、米軍の大部隊を相手に絶望的な地上戦が3カ月近く続き、日本軍の組織的戦闘が終わった日とされる。

 沖縄戦では約20万人が亡くなり、うち住民は約9万4千人に上る。戦闘や砲撃による被害ばかりか、日本兵に壕(ごう)から追い出されたり、「集団自決」を強いられたりした証言がある。老若男女を問わずだ。

 人の命を軽んじる戦争の恐ろしさが凝縮されている。日本国民は鎮魂の祈りをささげるだけでなく、二度と戦争をしない決意が要る。

 慰霊の日は、戦争体験を継承していく意味もあろう。沖縄全戦没者追悼式が営まれた糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園は、最後の激戦地だった。犠牲者の名前を刻む「平和の礎(いしじ)」の前で手を合わせるおばあさんは戦争の現実を肌身で知っている。だからこそ「二度と同じ目に遭ってほしくない」「風化させてはならない」という言葉に重みがあるのだ。

 来年は、戦後70年の節目となる。戦争を身をもって知る世代がいなくなる時代が迫り、戦争にまつわる建物や遺構も保存されるのは一部にすぎない。沖縄では平和学習をした高校生や大学生が沖縄戦を語り継ぐ活動や、壕のガイドを担う動きが広がっているという。戦争の記憶をどう伝えていけばいいのか、若い世代とともに考えたい。

 沖縄にとって戦争は過去のことではない。いまなお在日米軍基地の4分の3が置かれ、県土の1割以上を占めている。とりわけ、密集市街地に隣り合う米軍普天間飛行場(宜野湾市)は世界一危険な基地と言われながら、放置されてきた。県民の願いからは程遠い、この現状に思いをいたすべきだろう。

 仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事は昨年末、普天間の名護市辺野古への移設を前提とした沿岸部の埋め立てを承認し、多くの県民の反発を招いた。「普天間の県外移設」という公約をほごにしたからだ。

 だがきのうの平和宣言で知事は、普天間飛行場について日米両政府に「県外への移設をはじめとするあらゆる方策」を求め、危険を除くように努力せよと訴えた。辺野古移設が決着ではないという姿勢だ。県外移設要求を盛り込まないという当初の方針を翻したといい、これが沖縄の民意を表していよう。

 安倍晋三首相は、国の安全保障政策にこれ以上振り回されたくないという沖縄の声に耳を傾けているだろうか。国はことし秋の知事選を待たずして、辺野古への移設に向け、海底のボーリング調査の手続きを進め、一部の設計を既に発注している。辺野古移設を一方的に進めるなら、またもや不信を買うだけである。

 折しも、与党は集団的自衛権の行使容認へ、来週にも憲法解釈の変更を閣議決定しようかという勢いだ。安倍首相は追悼式で「戦争を憎み、平和を築く努力を惜しまぬ国民として、世界をより良い場とする歩みを進める」と述べた。その発言に沿ったものか、自問すべきだ。

 沖縄は不安と危惧を抱いている。ベトナム戦争で米軍の出撃基地となった過去を思えば取り越し苦労ではなかろう。安倍政権は県民の立場に立って基地負担軽減を加速する道筋を示してもらいたい。

(2014年6月24日朝刊掲載)

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