×

社説・コラム

『言』 アフリカ支援 商機より格差に目向けて

◆武村重和・広島大名誉教授

 グレート・ムゼー(偉大なる長老)―。アフリカの教え子たちから、そう敬愛される日本人がいる。広島大名誉教授の武村重和さん(78)は退職後、ケニアに7年間滞在し、1万5千人の理科教師の育成に携わり、学校教育の浸透に力を注いできた。巨大な市場として安倍政権も注目するアフリカと、今後どう向き合えばいいのか。求められる支援の在り方を聞いた。(聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・今田豊)

 ―悠々自適の生活をなげうって、アフリカの支援活動を始めたきっかけは何ですか。
 50歳すぎて、調査のためコンゴ共和国やチュニジアを訪れ、衝撃を受けました。マラリアやコレラで生死をさまよい、病院の前で死ぬ子どもたちもいた。なんて理不尽なんだ、今の地球上でこんなことが許されるのかと思いました。ならば最後はアフリカのために働こうと。

 ―具体的には、どんな活動をしてきたのでしょう。
 国際協力機構(JICA)の派遣で、ケニアの学校で理科実験を広めました。廃材を利用してモーターを作ったり、酢を使って豆電球をつけたり。子どもたちに見せると「魔術師だ」と大騒ぎです。しばらくすると「将来エンジニアになりたい」と目を輝かせて話す子が出てきました。うれしかった。

 貧困で将来の夢を持てなかった子が、徐々に勉強に興味を持ち、生きる力を磨く。これが活動の狙いです。70歳を過ぎて日本に戻りましたが、現在もJICA中国国際センター(東広島市)でアフリカ各国から来日する教師の指導をしています。

 ―政府は近年、アフリカへの援助に力を入れていますね。
 関心が高まりつつあるのはうれしいのですが、不安もあります。安倍政権は5年間で政府開発援助(ODA)など3兆円以上をアフリカに充てるとしています。現地へ日本企業が進出しやすくする狙いともされている。最近は「最後の巨大市場」などとビジネス目線の話ばかり注目され、肝心の貧困問題への関心が薄い気がするのです。

 ―ビジネスを念頭においた支援ではうまくいきませんか。
 はい。アフリカは独裁が長い国も多く、一部の特権階級に富が集中して格差が急速に開いています。日本企業が進出しても、結局は富裕層ばかりが利益を独占しかねない。かえって格差を助長させる恐れもある。また日本の企業進出は東南アジアではうまくいきましたが、アフリカではそうはいかないと思います。複雑な課題があることが知られていません。

 ―どういうことでしょう。
 植民地政策で徹底的に搾取されたアフリカ人は、他の国に「使われる」ことにとても敏感です。外国企業が安い労働力として現地の人を雇い、利益を母国に持ち帰るというやり方ではうまくいかない。底辺の人々を巻き込む、アフリカ人のための事業でないと、駄目でしょう。LOVE(愛)HOPE(希望)FAITH(信義)がないと、人々は動かないのです。

 ―では、求められる支援とはどんな形でしょうか。
 日本はこれまで、教育の普及や職業訓練、水資源の確保など、長期的な視野でアフリカの人々の自立を促してきました。これは、自国の権益拡大を優先する他国との大きな違いです。ビジネスを主眼に置くのではなく、従来のこの立ち位置こそ守るべきだと思うのです。

 ―高齢になってもアフリカ支援を続ける原点に、戦争体験があると聞きました。
 9歳で終戦の日を迎えました。学校に行くと先生は、日本が戦争に負けたことを説明しました。そして竹の根っこの棒で一人一人の生徒の頭をたたき「生きろ!」と大きな声で叫び教室を出て行ってしまった。今でも鮮明に覚えています。自分で生きる力を持て、と言いたかったんだと思う。いま日本は、国際貢献や援助の方向性が揺らいでいるように思います。

 戦後、焦土から立ち上がった日本は平和外交に徹し、貧困に苦しむ国々を支援してきました。子どもたちの生きる力を育てるという視点を、大切にしたい。それが日本の信頼感につながり、ひいては国益になると感じます。

たけむら・しげかず
 滋賀県葉山村(現栗東市)生まれ。文部省小学校教育科教科調査官を経て広島大教育学部助教授、教授。退職後、JICAの派遣でケニアなどアフリカ諸国の理数科教員の研修に携わる。13年、文部科学大臣表彰の科学技術賞を受賞。

(2014年6月25日朝刊掲載)

年別アーカイブ