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社説・コラム

『潮流』 「本能寺の変」と現代

■論説委員・岩崎誠

 土佐といえば坂本龍馬。だが「歴女」のお目当てはほかにもあるようだ。

 ゲームの世界では戦国一のイケメン武将に描かれる長宗我部元親である。りりしく立つ銅像のある高知市内の神社を訪れた折、確かに若い女性ばかりだった。

 岡山市の林原美術館で新たに確認された史料により注目度が一段と増すかもしれない。あの本能寺の変の直前、元親が明智光秀の重臣に出した手紙である。織田信長が自分を標的にした四国攻めに乗り出したのに対し、何とか戦いを回避できないか求めたものだ。

 かねて元親と手を結ぶ光秀が盟友の側に立って主君を討った―。謎だらけの謀反劇の原因をめぐって浮上している「四国説」の補強につながるのだという。

 全国の戦国ファンを熱くさせるであろう、このニュース。ふと感じたのは、強大な権力に対抗する地方の意外なしたたかさである。

 反信長でいえば福山市の鞆の浦が果たした役割も見過ごせない。京を追われた将軍足利義昭が腰を据え、毛利氏をはじめ各地の勢力とのネットワークを保ったらしい。三重大の藤田達生教授は「鞆幕府」と呼ぶ。こちらが本能寺の黒幕だとする見方もあるほどだ。

 乱世を力で切り開いた信長は、どうしても英雄視されがちだ。ただ逆らった勢力や踏みつけにされた側に、もっと思いをはせるべきではないか。そんなことを考えたくなるのも、いまの時代の空気と妙に重なり合うからである。

 力には力。「楽市楽座」ばりに規制緩和が次々と唱えられ、割を食う側への配慮は後回しされる。分権改革はどこへやら、「主役は地方」をうたう成長戦略も中央目線にしか思えない。

 長宗我部氏は関ケ原の合戦で破れ、表舞台から去った。その敗者に心寄せる若者たちがいるのは心強い。このまま地方の応援団になってくれないものか。

(2014年6月28日朝刊掲載)

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