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集団的自衛権 戦争体験者に聞く 

 集団的自衛権の行使容認は、先の大戦の反省と教訓から生まれた平和憲法を揺るがす。閣議決定で憲法解釈を変更した安倍政権のやり方は、戦争を肌身で知る人たちにどう映ったか。広島、山口県で3人に話を聞いた。

元陸軍兵 武内五郎さん(91)=広島市安佐南区

平和憲法ひっくり返すな

 腹が立って仕方がない。国民の頭越しに閣議決定を急いだ与党にも、それを止められなかった野党にも、この事態に無関心な人々がいることにも。米軍と自衛隊は一体化が進み、日本はきっと、米国の戦争を肩代わりすることになる。危機感を持つべきだ。戦争がどんなものか知ってほしい。

 私は20歳で徴兵された時、「ようやく戦える」と心底うれしかった。国のために命を賭してこそ男だと教育されていたからだ。

 米国が広島に原爆を落とした日も見習士官として、宇品(現広島市南区)にあった暁部隊(陸軍船舶司令部)で海事訓練中だった。直後に救護活動の命令を受けて市街地に入り、戦争の本質を見た。人間が人間でない姿にされ、息絶えていった。無数の遺体を、この手で埋めた。志願兵だった2歳下の弟は、広島城の近くにあった陸軍施設で被爆し、19日後に亡くなった。

 戦争は何の利益ももたらさないと身をもって知った。当時は権力者の暴走に国民が巻き込まれた。今は安倍晋三首相も戦争へ突っ走っているように思えてならない。多くの犠牲の上につくられた平和憲法をひっくり返してはならない。(聞き手は田中美千子)

被爆者 寺前妙子さん(83)=広島市安佐南区

過去の犠牲に思いはせて

 困っている国があれば、助け合わないといけないとは思う。だが今、国際関係が危機的状況にあるとも思えない。なぜ、憲法を変えようと急ぐのか。国民の意見を聞こうとしないのか。複雑な思いが拭えない。

 願いは一つ。戦争を繰り返さないでほしい。戦争は子どもまでも巻き込む。進徳高等女学校(現進徳女子高)3年だった私は原爆が落ちた時、動員学徒として爆心地から540メートルの広島中央電話局で働いていた。大やけどで生死の境をさまよい、左目を失った。12歳だった妹も小網町一帯(現広島市中区)での建物疎開作業に動員されて被爆し、翌7日に息を引き取った。

 少年少女は誇りを胸に国に尽くし、散っていった。それなのに国は戦後、私たちが軍人軍属と同等の補償などを求めて運動するまで、学徒への責任をとらなかった。それが現実だ。

 もう二度と誰にも同じ思いをさせたくないと、被爆者はつらい記憶を語ってきた。それなのに今の社会は過去など忘れ、豊かさに浮かれているように見えてならない。犠牲者に思いをはせ、日本の未来を真剣に考えてほしい。子どもたちのための、みんなの責任だ。(聞き手は田中美千子)

元山口市長 佐内正治さん(88)=山口市

武力行使する状況 不明確

 集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈の変更は、抑止力の点で効果があるだろうが、実際に行使すれば戦争に巻き込まれる恐れがある。戦争は悲惨だ。

 山口県職員を経て山口市長を3期(1990~2002年)務めた。旧制山口中に在学中、京都府舞鶴市の海軍兵学校の舞鶴分校に入った。太平洋戦争の真っただ中。命をささげる覚悟で訓練に励んだ。そしてそのまま終戦を迎えた。

 終戦後に知ったのは、大国を相手に無謀な戦いを仕掛けた日本の姿。旧制中時代の同級生や先輩は戦地で命を絶たれ、多くの兵士が飢え死にした。当時は、日本が戦争に突き進んだ背景を知るすべもなかった。

 今回の解釈変更で、政府は「密接な関係国が攻撃を受け、国民の生命や権利が根底から覆される明白な危険がある場合に行使を容認する」としている。しかし、実際にそんな状況が生じるのだろうか。国民が状況をつかめないまま戦争に突き進む事態が繰り返されてはならない。

 それを見極める意味で今後の法制化の作業を注視したい。具体的にどんな時に武力行使に踏み切るのかを国は具体的にする必要がある。(聞き手は門戸隆彦)

(2014年7月3日朝刊掲載)

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