×

社説・コラム

『書評』 話題の1冊 ヒロシマ・ノワール 東琢磨著 目に見えぬ祈りに耳傾け

 なぜ広島には幽霊が現れないのか―。本の帯の惹句(じゃっく)は、心霊現象がテーマかと思わせもする。が、広島市立大広島平和研究所などのプロジェクト参加や、戦後復興と市民意識がテーマの「ヒロシマ独立論」の出版でも知られる著者。内容は平和をめぐる思想や言説と多岐にわたる。

 象徴的に幾度か例示されるのが8・6の夜、平和記念公園東側の元安川で行われるとうろう流し。周辺住民が寄り合う近親者の弔いだったが、今は平和祈願のイベントとなり、観光客も詰め掛ける。「人類が平和でありますように」と書かれた灯籠も大量に流れる。「広島にはもう幽霊の出ようがないだろう」

 広島にいると皆、人類について語りたがる、と著者はいぶかる。核兵器は人類を滅ぼすから駄目というが、人類には誰が入って誰が入らないのか。未来の死者は重要視されるが過去の死者はどうか。高らかな演説だけを聴くのでなく、沈黙のままうずくまる何かにも耳を澄ませて…。こうした提言から、「幽霊」は目に見えないが大事な何かを仮託した言葉だと分かる。

 書名「ヒロシマ・ノワール」は、怒りや恐怖などに陰影を付けて描く映像作品群「フィルム・ノワール」に基づく。一例として触れられるのがフランス映画「ヒロシマ・モナムール」。言及はないが、その原作者、作家デュラスは「ヒロシマについて語ることは、せいぜい語ることの不可能さを語ること」と言う。小説とは「大道を持ち歩く鏡」つまり目に見える物を書くとした大家スタンダールの否定だ。刺激を受けた原爆作家の桂芳久氏は「ついに鏡にうつりえないもの、それを追究する」と53年前の中国新聞に寄稿した。

 被爆69年の歴史の中でさまざま考察されてきたヒロシマ。それら一つ一つをあらためて考えさせられた。(祖川浩也)(インパクト出版会・2052円)

(2014年7月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ