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記憶継承 模索続く 広島市の「伝承者」

 あの日の体験を自らの言葉で語れる被爆者がいない―。そんな時を見据え、広島市が「伝承者」を育てている。ヒロシマの記憶と思いを語り継ぐ使命を担い、1期生が来春にデビューする。ただいくら被爆者と対話を重ねても「原爆は遭うたもんじゃないと分からん」と、言われ続けてもきた。継承の現場では模索が続いている。

 3日、中区の広島国際会議場の講習室。伝承者を目指す安佐北区出身の法務研修生、高岡昌裕さん(35)=兵庫県明石市=が、南観音町(現西区)で被爆した植田䂓子さん(82)=東区=の体験を語った。生死を分けた瞬間の光景、妹を失った悲しみ…。「人間が人間でなくなるのが戦争なんだと、どうか忘れないでください」。1時間弱の「証言」を締めくくった。

 じっと聞いた講師役の植田さんは「時代背景もしっかり勉強している」と高く評価した。一方で高岡さんの表情は晴れない。「被爆者が原体験を語るのには及ばない。その溝をどう埋めればいいのか」

 被爆者の体験や核兵器廃絶への思いを個別、忠実に語り継ごうと、市が2012年度に育て始めた伝承者。1、2期生計160人が受け継ごうとしている。

 市内の中学、高校に通い、平和活動にも関わってきた高岡さんは「少しでもヒロシマの記憶を伝える役に立ちたい」と思い、1年間、月1回ペースで植田さんから指導を受けてきた。それでも「体験の継承」に迷い、悩む。同期たちも同様という。

 被爆から69年。引き継ぐ側にも口惜しさがある。講師役の一人で、ふだん被爆証言活動をしている広島大名誉教授の葉佐井博巳さん(83)=佐伯区=は言う。「例えば子を奪われた親の悲しみ。その極限の感情までを語れる被爆者はもういないんですよね」

 市の計画では、被爆者に代わり、来春から広島を訪れる修学旅行生や外国人旅行者に話す。平和推進課は「伝承者は被爆体験を語り継ぐ手段の一つ。遺品や被爆建物など市全体で伝える構えだ」と言う。高岡さんも「直接、被爆者と対話を重ねてきた。その過程を大切に、地道に語り続けたい」と自らに言い聞かせている。(加納亜弥)

(2014年7月8日朝刊掲載)

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