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市民の強さ 旋律に込める 「交響曲第2番ヒロシマ」総譜見つかる 

 被爆10年後の1955年8月、広島市で演奏された「交響曲第2番ヒロシマ」のオリジナル総譜が見つかり、7日、市公文書館(中区)で公開された。49年にフィンランドの作曲家エルッキ・アールトネン(10~90年)が被爆地に思いを寄せてつくり、惨劇に立ち向かう市民の力強さを表現した。市販の音源はなく、広島での再演を願う声が音楽関係者の間で高まっている。(田中美千子)

 広島公演は、国内外で活躍した朝比奈隆(2001年に93歳で死去)が指揮、関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪市西成区)が演奏した。大阪フィルに残っていた総譜を、ヒロシマを題材にした名曲の掘り起こしを進める「ヒロシマと音楽」委員会(広島市中区)の能登原由美さん(43)=京都市上京区=が確認した。

 総譜は全182ページ。表紙には、アールトネンが自ら描いたという、黒字を赤で縁取った「HIROSHIMA」の飾り文字が躍る。譜面は手書きの原本の複写とみられる。

 遺族を訪ねて欧州公演の録音を聴いた能登原さんによると、約30分の楽曲。悲劇を想像させる暗い旋律が繰り返されるが、最後は長調に転じる。市公文書館所蔵の広島公演のプログラムで、アールトネンは「裡(うら)に潜む力強い反抗を反映した」と解説している。

 49年にヘルシンキ市立管弦楽団が地元で初演後、東欧各地で演奏された。団員だったアールトネンが、客演で訪れた朝比奈に広島公演を願って総譜を託したという。関西財界の広島出身者たちが「郷里のために」と出資。中国新聞社が主催し、市公会堂(現広島国際会議場、中区)で55年8月15日に2回上演した。当時の朝刊によると、約5千人の市民が無料で招かれ、大成功だったという。

 フィンランド国立図書館が広島公演の写真10枚と市民の礼状6通を所蔵。うち1通には「演奏が終(おわ)った時、場内はしばらく無言のままでした。やがて爆発的な拍手の嵐がステージをおそいました」と反響の大きさをつづっている。

 能登原さんは「音楽を通じ、広島を思う人々と市民が心通わせた姿が浮かぶ」。楽曲はフィンランドでも98年を最後に演奏された記録がなく、国内外の楽団に再演を働き掛けている。

 市公文書館は9月26日まで、大阪フィルから借りた総譜の実物と、礼状や写真の複製を公開する。無料。平日のみ。

(2014年7月8日朝刊掲載)

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