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社説・コラム

『この人』 平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 加藤千季さん 

祖母の記憶 未来へ継承

 ヒロシマの若者として語る言葉によどみはない。「被爆者の思いを受け継ぎ、平和な未来をつくるのは僕らの世代の務め。その決意を音に乗せて響かせたい」。原爆の日、広島市の平和記念式典で、こども代表とともに「平和の鐘」を突く。

 69年前、祖母の中野芳子さん(89)=中区=も、その妹の松本光江さん=当時(16)=も原爆に遭った。旧水主町(現中区加古町)一帯の建物疎開へ駆り出されていた光江さんを捜しに、芳子さんは8月6日、自宅があった可部町(現安佐北区)から市内へ。光江さんは親戚に見つけ出されたが大やけどを負っており、6日後に息を引き取った。

 奈良県で暮らした幼い頃から原爆の日に合わせて帰省すると、芳子さんが始発電車で原爆慰霊碑へ連れて行ってくれた。「おのずと平和問題に関心を持った」。小学2年で広島市に引っ越し、平和教育を受け、漫画「はだしのゲン」を愛読した。

 意識がより高まったのは広島大に進んでから。県外出身の友人の多くは原爆について知らなかったり、無関心だったり。「平和とは何か、話し合う場がもっとあっていい」。歯科医師となった今、NPO法人や市民団体の一員として平和を考える催しの企画、運営に携わる。

 芳子さんがあの日の記憶を語ってくれたのは、孫の大役が決まったつい最近だ。涙をこぼす祖母に、今も抱えるつらさ、受け継ぐ使命を肌身で感じた。

 昨夏、長男が生まれたばかり。「ヒロシマを歴史にしてはいけない。子どもたちのためにも」。ことしも芳子さんと原爆慰霊碑へ向かう。中区在住。(田中美千子)

(2014年7月16日朝刊掲載)

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