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社説・コラム

社説 沖縄密約最高裁判決 国にこそ説明責任ある

 1972年の沖縄返還をめぐる日米密約文書の開示を求めた訴訟で、最高裁は一審の開示命令を取り消した二審判決を支持し、原告側の上告を退けた。

 判決理由が納得できない。行政機関が「存在しない」とする文書は、開示を求める側がその存在を証明せよ、というのだ。一般国民に、公権力の手にある公文書の存在自体をどうやって証明せよというのか。

 判決は、行政機関がその行政文書を保有していることが開示請求権の成立要件とされている、と前置きしている。申し立てた側に、その保有を立証する責任を負わせるのは、情報公開の流れには程遠い司法判断と言わざるを得ない。

 かつて密約を報じた元毎日新聞記者西山太吉氏ら原告が開示を求めてきたのは「財政密約」と呼ばれる日米合意文書である。米軍用地の原状回復費の肩代わりなどで、佐藤栄作政権が沖縄返還を急ぐために使った「つかみ金」と言っていい。税金が財源でありながら、膨大な予算の内訳は秘匿されていた。

 歴代自民政権は否定してきたものの、一、二審判決はこれら密約の存在自体は認めた。

 米国の国立公文書館は密約関連の文書を90年代から公開しており、交渉相手の国益を損なうという理屈は通用しない。しかも文書には日米両政府代表の署名があり、一方の当事者である当時の外務省局長がメディアに対して事実を明かしたことからして、当然のことだろう。

 従って作成したことが裏付けられた密約文書が今は本当に存在しないとすれば、いずれかの時期に誰かが意図的に廃棄したと疑われても仕方がない。

 開示命令を取り消した二審も「密約の露見を恐れた国が情報公開法の施行(2001年)の前に廃棄した可能性がある」と指摘している。国は文書を探索したというが、責任の所在は曖昧なまま「見つからなかった」で済まされるのだろうか。

 にもかかわらず、最高裁判決は、相手国との信頼関係や利害関係が絡む場合には外交文書の保管態勢は通常とは異なる場合もあり得る、という一、二審にはない判断を下した。公益よりも省益が優先されるのか。政治におもんぱかるのではなく、真実に迫るのが司法だろう。

 惨敗だが一連の密約訴訟に意味はあったと、西山氏は振り返る。現行の情報公開や公文書管理の制度にさまざまな欠陥があることを見せつけたからだ。いずれも憲法に定められた国民の「知る権利」を支えるにはいまだ非力というしかない。

 その一方で特定秘密保護法の施行が近づいている。運用をチェックする国会の監視機関は常設されるが、安全保障などを盾に拒まれればそれまでである。

 外交文書の保全義務を国に課す新法も必要かもしれない。政治家や官僚が恣意(しい)的に公文書を取り扱うような流れには、歯止めをかけなければなるまい。

 本土復帰から40年余りの歳月が流れたが、沖縄では「基地負担の軽減」が今なお、県民の切実な願いである。日米の返還交渉の過程で何があったのか。一連の密約文書には解明の鍵があるはずだ。

 国民の共有財産である公文書の保存と公開に真摯(しんし)に向き合うことは、民主国家の責務であることを思い返したい。

(2014年7月16日朝刊掲載)

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