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被爆の証人 姉のブラウス 廿日市の萩本さん 資料館に形見寄贈 「離れるのは寂しいけど…

 廿日市市宮内の被爆者、萩本トミ子さん(89)が15日、被爆死した姉が着ていたブラウスを広島市中区の原爆資料館に寄贈した。萩本さんが縫い上げた結婚祝いで、戦後は形見として家族で大切にしてきた。「ブラウスは姉さんそのもの。離れるのは寂しいけど、後世の役に立てば」。記憶の継承を願っている。(加納亜弥)

 ブラウスの持ち主は、萩本さんの姉の下久保喜久代さん=当時(23)。左胸と背中は大きく裂けて原形をとどめず、茶褐色の血痕が残る。米国ハワイの親類から届いた絹のワンピースを、洋裁が得意な萩本さんが外出着に仕立て替え、喜久代さんに贈った。「そりゃあ、喜んでくれた。本当に優しい姉だった」と振り返る。

 姉夫婦の自宅は今の中区土橋町にあった。喜久代さんは電話を借りに寄った近所の会社で原爆に遭ったという。廿日市市に住んでいた萩本さんは両親と入市し、7日未明に大けがをした喜久代さんを実家に連れ帰った。8日後の終戦の日、喜久代さんは息を引き取った。

 萩本さんは服を「私が死んだら一緒に焼いてもらおうと思っていた」と明かす。しかし卒寿を前に「私だけが大事にするより、多くの人が見て、戦争さえなければと思ってくれた方がいい」と考えを変えた。

 同館によると、被爆60年の2005年度は109人が遺品を寄せたが、13年度は48人で減少傾向にある。遺族の高齢化も進み、遺品にまつわる詳細な話が分からないケースも増えているという。

 学芸員にブラウスを託した萩本さん。「姉さん、姉さん、また会いに来るね」。むせび泣き、服を握りしめた。

(2014年7月16日朝刊掲載)

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