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社説・コラム

『論』 下北の核燃サイクル 再び「安全神話」なのか

■論説委員・田原直樹

 草地や森林が続き、人家もまばらな原野をバスに揺られた。青森県の下北半島。北東風「やませ」による霧が朝から漂っている。気温をいっぺんに下げることもあり、冷害を引き起こしては農民を苦しめた。冬場には多くの人が出稼ぎに向かったという。厳しい風土である。

 だが、やがて車窓に整った街並みが現れた。「ここが役場で、それから文化ホールにショッピングモール。あそこに並んでいるのが当社の寮です」。同乗した日本原燃の社員が、暮らしやすそうな環境を少々誇らしげに紹介する。六ケ所村だ。30年ほど前、原子力施設の誘致を決めて以来、村は大きく姿を変えてきた。

 ウラン濃縮工場が動き始めて20年余り。高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、低レベル放射性廃棄物埋設センターはそれぞれ、全国の原発の「ごみ」を大量に受け入れている。核燃料サイクルの中心となる再処理工場は、高レベル放射性廃液のガラス固化に昨年やっと成功し、適合審査を待つ。

 今月初め、全国の新聞社の論説委員で、下北半島の関連施設を視察した。福島第1原発の事故から3年4カ月。原発は今、日本で1基も動いていないというのに、原子力利用の動きは一向、衰えていないようだ。

 青森の事業者も粛々と準備を進める。立地地元には雇用などを案じ、早期建設や再稼働を望む声も出ているという。地域づくりを絡めて進められてきたことを、あらためて確信した。

 地元出身のバンド、人間椅子は20年ほど前に発表した「青森ロック大臣」で、こう歌っている。

 「企業誘致は原子力で青森/ビルは建てたし 銀座も造ったけど(中略)これだば下北 死の来た半島だじゃ」

 半島には、東北電力の東通原発があり、近くに東京電力の原発建設予定地がある。使用済み燃料の中間貯蔵施設などもあり、原子力施設が集中立地している。

 誘致には、もちろん紆余(うよ)曲折があった。

 「親子、兄弟、夫婦でも対立し、村を二分するほどの葛藤を乗り越えてもらった」。日本原燃の社長が「重い歴史」を代弁した。その上で、だからこそ万全な安全対策を取り、一日も早く稼働させて地元に報いたいと強調した。

 だが果たして人間の手に負えるものだろうか。核燃料サイクルも実質、破綻している。最終処分地が決まらぬまま、核廃棄物が増え続けてきた。さらに福井県の高速増殖炉原型炉もんじゅが行き詰まり、プルトニウムが宙に浮いた。ウランと混ぜてMOX燃料を造る工場の建設が六ケ所村で進むが、使える原発は多くない。

 下北半島の北端・大間町では、すべての燃料をMOX燃料にできる世界初の原発建設が進む。

 「日本のエネルギー政策や環境問題への貢献も考えて、受け入れた」。金澤満春町長は語った。まっすぐな人なのだろう。懇親会では細川たかしの「下北漁歌」を披露してくれ、地元を思う心情が染みた。

 歌には次のような一節がある。

 「烏賊(いか)干し簾(すだれ)に 山背が走りゃ/風の向うに 故郷が見える(中略)波の花咲く 下北大間崎」

 地元の子どもたちに胸を張ってほしいと、町長は話した。全国に知られたマグロの一本釣りかと思いきや、「世界一の原発ができるんだからね」。将来、成長して安全な運転管理に携わってくれたらとも言った。

 本州北端で、核燃料の「輪」が形作られ、最も南にある鹿児島の原発には秋にも再び火がともるかもしれない。

 人口減少に悩む地方から、今また「安全神話」がつくられつつあるようだ。だが、下北の核燃料サイクルを巡っても、輪はあちらこちらでほつれて、いまさら機能していくとは思えない。

 大間原発に対岸の北海道函館市が差し止め訴訟を起こした。「函館とは長い付き合いと絆がある」と町長は言うが、住民の心のみならず市町の交流を引き裂きはしないか。本州を縦断して戻る道すがら原子力政策の罪深さを思った。

(2014年7月17日朝刊掲載)

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