×

ニュース

被爆作家「あの日」見つめ 広島市出身の石田耕治さん 「雲の記憶」刊行 半世紀以上の集大成5編

 半世紀以上にわたり、原爆をテーマにして小説を書いてきた広島市出身の作家石田耕治(本名駒田博之)さん(84)=横浜市=が、集大成となる作品集「雲の記憶」を出した。これまでの発表作の中から、被爆作家としての自らの歩みに重ねた5編を収めている。(石井雄一)

 石田さんは15歳の時、爆心地から西へ3キロの己斐上町(現広島市西区)の自宅で被爆。幸いけがはなかった。だが、近くの小学校にはけが人が押し寄せ、亡くなっていった。その光景が目に焼き付いた。

 表題作「雲の記憶」(1959年)は、語り手が、際限なく運ばれてくる被災者を校庭のテントに運び入れ、死者を運び出す作業を続ける。現実と幻想が入り組んだ代表作だ。被爆後の街を客観的に見つめる「相生橋」(92年)や、教え子を失った教師の葛藤を描く「靴」(59年)。「原爆が落ちた瞬間、壊滅状態の街の上に『ヒロシマ』という空間が出現した」。選んだ5編には、そうした原爆の捉え方が通底する。

 広島大を卒業して就職した銀行を1年で辞め、上京。「原爆から逃れたかったのもあった」と振り返る。テレビドラマの脚本家となり、「水戸黄門」や「西部警察」を手掛けた。

 上京して間もないころ、恩師の紹介で三原市本郷町出身の評論家、佐々木基一氏を訪ねた。学生時代に小説を書き始めており、原稿を見てもらうと、「あなたの中に何か書くべきものがあるはずだ。それをよく突き詰めてみなさい」と助言された。「自分の中で掘り下げると、原爆だった」。そうして仕上げたのが「靴」だった。

 中でも特別な思いで書いたのが「弟」(2013年)だ。原爆投下翌日に亡くなった弟と自身の体験を小説風につづった。ペンネームの「耕治」は、弟の名前でもある。「この作品を書き終え、一区切りがついた」と思える。

 それでも「原爆というテーマは追い続けたい」と力を込める。政府が踏み切った集団的自衛権の行使容認への危機感もあるからだ。「戦前のあの空気を吸ってきたから分かる。戦争へ突き進む前支度のようだ」と語る。「原爆が何をもたらしたか。『あの日』をもう一度見つめ直してほしい」

 四六判、315ページ。1944円。河出書房新社。

(2014年7月19日朝刊掲載)

年別アーカイブ