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社説・コラム

憲法 解釈変更を問う 9条の本質変える行為 

映画監督・作家 森達也さん(58)

社会全体の暴走を危惧

 安倍晋三首相はまともに質問に答えず、議論はすれ違ってばかり。はぐらかしているというよりも、戦後の秩序を変えたいという個人的な思いで突っ走ってきて、自分の考えが追い付いていないのではないか。

 集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈変更の閣議決定を受けて14、15の両日に開かれた国会の集中審議。安倍首相は「専守防衛を維持することに変わりない」と慎重姿勢をアピールした。

 専守防衛と言うけれど、そもそも軍隊は国を守るための存在だ。吉田茂元首相も国会答弁で言っているが、自衛の意識が戦争を起こす。でも、自衛は半分本能。誰でも殴られたら防御する。本能は消えないので、自衛の手段を制限するという論法にたどり着いた。憲法9条の本質はそこにある。だから9条は、僕は本来は自衛権も否定していると思っている。

 もし集団的自衛権の行使を可能にすれば、9条はほぼ命を失う。解釈を変えるのは本質を変えるのに等しい。イスラム教のシーア派とスンニ派は血みどろの争いを続けているが、彼らが大切にする聖典のコーランは一字一句同じものだ。解釈の違いが決定的な対立を生んでいる。

 呉市生まれ。1998年にオウム真理教信者が主人公のドキュメンタリー映画「A」を発表するなど、世の中にあるタブーや偏見に切り込む作品を送り出してきた。

 安倍さんも被写体として興味がある。答弁を聞いていて、論理はないが、安倍さんには「強い日本にしたい」というパッション(情熱)がある。でも感情なので言葉でうまく説明できないから、時折自信がなさそうな顔になる。こういう人が支持されているのは、社会全体が暴走しているのだと、僕たちは気付かなければいけない。

 集団的自衛権行使の賛否をめぐっては、世間で激しい応酬が繰り広げられている。賛成派は「血を流す覚悟がなければいけない」と説き、反対派は安倍首相の強引さを非難する。

 ドキュメンタリーの監督なら「自衛のためにやむを得ない」とは口が裂けても言わない。現場を知っているからだ。キャタピラーで踏みつぶされた女性、体が半分吹き飛んだ子ども…。罪のない人が簡単に犠牲になってしまう。どんなことがあっても戦争をしてはいけないと心から思う。被爆地の人たちが、絶対に核兵器を使ってはいけないと思うのと同じでは。現場を知らない人ほど、抑止論を唱える。

 一方で、反対する側の論理の貧しさも気になる。「戦争できる内閣」なんてレッテルを貼っても、共感を呼ばない。安倍さんだって積極的に戦争をしようと思っている訳はない。問いただすべきなのは歴史認識だ。(聞き手は藤村潤平)

(2014年7月21日朝刊掲載)

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