被爆死の父 残したはがき 広島の喜馬さん 原爆資料館に寄贈
14年7月23日
広島市安佐南区の被爆者、喜馬理陽(まさはる)さん(81)が22日、被爆死した父が書き残したはがきを原爆資料館(中区)へ寄贈した。原爆で生き別れた妻子の消息を求める文面。「原爆の非情さを後世に伝える役に立てば」と願う。
はがきは父康夫さん=当時(46)=が原爆投下の10日後、収容先の市郊外の国民学校で義弟に宛てた1枚。色あせた通信面に「友子や理陽の生死かは(分)かりません。其(そ)の後手掛ハありませんでしようか」とつづっている。
この日、資料館の下村真理学芸員が喜馬さん方で、寄贈手続きをした。はがきは劣化を防ぐため中性紙の封筒に入れて収蔵庫に保管し、企画展などで紹介するという。「子を思う親の心が伝わる資料。大事にお預かりします」という下村学芸員の言葉に、喜馬さんも安心した表情を浮かべた。
喜馬さんは県立広島商業学校(現広島商業高)1年の時に皆実町(現南区)の校庭で被爆。康夫さんは9月2日に亡くなり、母友子さん=同(34)=も大手町(現中区)の自宅跡で、遺骨となって見つかった。はがきを大切に保管してきたが、原爆の惨禍を刻む資料を紹介する中国新聞の企画「伝えるヒロシマ」を知って情報を寄せた。「一瞬で無差別に命を奪い取る原爆の怖さを知ってほしい」と話している。(田中美千子)
(2014年7月23日朝刊掲載)
はがきは父康夫さん=当時(46)=が原爆投下の10日後、収容先の市郊外の国民学校で義弟に宛てた1枚。色あせた通信面に「友子や理陽の生死かは(分)かりません。其(そ)の後手掛ハありませんでしようか」とつづっている。
この日、資料館の下村真理学芸員が喜馬さん方で、寄贈手続きをした。はがきは劣化を防ぐため中性紙の封筒に入れて収蔵庫に保管し、企画展などで紹介するという。「子を思う親の心が伝わる資料。大事にお預かりします」という下村学芸員の言葉に、喜馬さんも安心した表情を浮かべた。
喜馬さんは県立広島商業学校(現広島商業高)1年の時に皆実町(現南区)の校庭で被爆。康夫さんは9月2日に亡くなり、母友子さん=同(34)=も大手町(現中区)の自宅跡で、遺骨となって見つかった。はがきを大切に保管してきたが、原爆の惨禍を刻む資料を紹介する中国新聞の企画「伝えるヒロシマ」を知って情報を寄せた。「一瞬で無差別に命を奪い取る原爆の怖さを知ってほしい」と話している。(田中美千子)
(2014年7月23日朝刊掲載)