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恩師の一言が私を救った 神戸・竹本さんが墓参

■記者 金崎由美

 広島で被爆した元日本生活協同組合連合会会長の竹本成徳さん(79)=神戸市東灘区=が23日、被爆死した旧制修道中の恩師、岩崎幸喜教諭の遺族と墓参りを果たした。竹本さんがラジオ番組で岩崎教諭について語ったのを、遺族が偶然聞いたのがきっかけだった。

 65年前の8月6日朝、竹本さんたち2年生約150人は、集合場所の広島市役所から近くの建物疎開作業に向かっていた。だが竹本さんは、岩崎教諭から「市役所の植え込みに置いたみんなの弁当を見張っていてくれ」と言われ、1人で戻った。直後に猛烈な光と音に襲われた。

 市役所は爆心地からわずか約1.2キロだったが、庁舎が壁となり奇跡的に無傷で助かった。作業現場にいた同級生はほとんどが亡くなった。

 岩崎教諭は行方不明となり、長女の重藤喜美子さん(81)=広島県世羅町=は9日に母と疎開先の世羅町から入市して捜した。数日後、収容されたと思われる南区の救護所で死亡者名簿に父の名を確認した。遺体は見つからなかった。

 あの日の父について知りたい―。喜美子さんは長年、願い続けたが手掛かりすらなかった。ところが今年8月の早朝、竹本さんがラジオで「岩崎先生の言葉がなければ私は生きていない」と語る声を耳にした。迷わず放送局に電話した。

 竹本さんはこの日、重藤さんと岩崎教諭の長男高清さん(79)=南区、次男泰彦さん(74)=西区=の案内で東区の墓を訪れた。岩崎さんが生前残した毛髪とつめを納めた墓石に手を合わせ「命の恩人に初めてお礼が言えます」と語り掛けた。

 竹本さんは現在、地元で子どもたちに被爆体験を語る。竹本さんは「恩師が引き合わせた縁を大切にします」と思いをかみしめる。

(2010年9月24日朝刊掲載)

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