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被爆後のヒロシマ1761点 原爆資料館 米撮影の写真入手

 原爆資料館(広島市中区)は23日、原爆に関する1761点の写真を米国立公文書館から入手したと発表した。米軍が1945年秋に撮影した市内の救護所の光景や町並みなど、資料館になかったり、より鮮明だったりするカットが多数含まれている。「原爆被害の全体像を伝えるのに貴重な資料」として、展示などに活用する。(田中美千子)

 米国立公文書館は戦後、広島に入った米陸海軍や米国戦略爆撃調査団が撮影した写真を所蔵している。ホームページ(HP)で公開されており、原爆資料館は2009~12年度に1090点を収集。13年度は職員を39年ぶりに派遣し、資料館未所蔵の465点を含む671点をデジタルデータで提供してもらった。モノクロ写真が大半だが、カラーも2枚ある。

 この日は30点を報道陣に公開。原爆開発を所管した「マンハッタン工兵管区」の調査団は45年秋、今も被爆建物として残る旧広島中央電話局西分局(現中区西十日市町)の屋上から東方面の無残な焼け野原を写していた。変わり果てた広島県産業奨励館、今の原爆ドーム(中区)の姿もある。

 海軍の従軍カメラマンが原爆投下の翌月に撮影した救護所では、頭をけがして横たわる子どもの手を、母親らしき女性が握っている。赤十字の腕章をした女性も寄り添う。「人々の思いや救護の様子が感じ取れる」と資料館学芸課。2018年度予定の全面リニューアル後、常設展示に加えることも検討している。

 米国戦略爆撃調査団も西観音町(西区)や牛田町(東区)からの街の様子を収めていた。旧日本陸軍が収容、火葬したとみられる犠牲者の遺骨の安置所もあった。

 同館は一般公開に向け、収集した写真のデータベース化を進める。企画展などでも随時紹介する。

(2014年7月24日朝刊掲載)

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