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社説・コラム

2014平和のかたち~ヒロシマから 社会学者・開沼博さん 無関心層 取り込み必要

 核がもたらす悲惨さを知っているはずなのに、再び起きた核被害。なぜ福島第1原発事故が起きたのかを社会学的な視点で考えると、世の中の多くの人が無関心だったことに行き着く。原発立地地域の内実を知ることなく原発反対を唱える人と、原発は豊かでクリーンなエネルギーだと訴える人がいて、両者が大きな声で言い合うのを多くの人は遠巻きに無関心で見ていた。結果としてリスクが醸成されて事故に至ってしまった。

 戦争だって、同じように起きるのでは。政府は、集団的自衛権を限定的に使う方針を決めたが、「軍靴の音が聞こえてくる」という反対派と「中国に攻められる」という賛成派の極端な二項対立を、多くの人は遠巻きに見ている。その中で、粛々と権力の強化が進められている。

 マスコミの世論調査では、原発も集団的自衛権も「反対」が多いが、それは白か黒かを求められているから。関心がない人でも「原発事故は怖いよね」「戦争は嫌だよね」という雰囲気で「反対」の意思表示はする。でも、それでは強い世論にはならない。権力を止められない。

 無関心の人を巻き込む仕掛けが必要だ。昨年秋から福島大で取り組む「福島学構築プロジェクト」は、被災者たち2千人へのインタビューによる課題の細分化と、県外の企業人たちに向けた現地見学会が柱。いずれも原発事故から3年が過ぎ、見えづらくなっている被災地の問題を「見える化」するのが目標だ。

 その上で提唱しているのは「復興三方良し」という考え方だ。近江商人の「売り手良し、買い手良し、世間様良し」という商売の心得に倣い、「支える人良し、支えられる人良し、関心のない人も良し」。みんなが喜ぶ仕組みをつくらなければ、復興は持続していかない。

 核兵器をなくそうという運動も「三方良し」でなければ行き詰まるのではないか。関心のない人を巻き込めていないなら、別の手法を考えた方がいい。仲間内でしか通じない言葉を使うなど「ムラ化」していないか常に問い直してほしい。(聞き手は藤村潤平)

(2014年7月27日朝刊掲載))

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