×

社説・コラム

天風録 「被爆樹思う頃」

 責任がないから孫はかわいい―などと言うが、孫に償いをした話が先日の本紙記事にある。広島・草津のお寺。前住職の故選(こせん)一法さんは支坊のクスノキをうっかり切って、孫娘を泣かせてしまう。そこで残る材で仏師に親鸞像を彫ってもらい、先ごろ安置した▲くだんのクスノキは、被爆樹ゆかりの苗木を譲り受けて育てた。中国の沙漠(さばく)緑化のため木を植える活動も続けてきた。なのに、あの折は…。「お恥ずかしい限り」という一言は、気付かせてもらう大切さ、と受け止めたい▲公孫樹はイチョウのことである。祖父が植え孫が実を採るほど長寿の木だからか。高浜虚子は「いてふの根床几(しょうぎ)斜に茶屋涼し」と武骨な姿に一句詠んだ。広島・寺町のお寺には、原爆にも耐えた大イチョウがある▲似顔絵画家の山口紀行さんは少年時代、その木の下でガラス玉遊びの腕を磨いた。祖父が近くでラムネ製造を営むが、原爆で工場も家族も奪われる。跡地には瓶が溶けて玉だけが。そんな時代を時には孫に明かしてもきた▲被爆樹は熱線の爪痕などを今も見せ人は木々に託した思いを語る。70代半ばのお二人に限らず、かわいい孫に「あの日」のことを伝える責任があるのだろう。

(2014年7月28日朝刊掲載)

年別アーカイブ