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被爆2日後の 写真現存 海軍撮影 呉に15枚

■編集委員 西本雅実

 広島が原爆で壊滅した2日後の1945年8月8日に撮られたオリジナル写真15枚の現存が分かった。海軍調査団として東京から入り、戦後は横浜国立大教授を務めた北川徹三さん(1907~83年)が残し、次男の不二男さん(64)=東京・世田谷区=から寄贈を受けた呉市の大和ミュージアムが所蔵している。広島市の原爆資料館などが検証し、詳しい撮影場所も明らかになってきた。

 15枚の写真は、原爆投下の照準点とされた相生橋や、崩壊した鉄筋3階の広島瓦斯(ガス)本社の惨状をはじめ、爆心地から南東約730メートルを走っていた路面電車が爆風により軌道を外れた光景、約2キロ離れ全壊全焼を免れた比治山近辺などを鮮明に収める。

 海軍技術中佐だった北川さんは、直筆の当時の記録によると、海軍調査団(10人)として8日広島に入り、呉鎮守府調査団を率いた三井再男(またお)大佐(1989年に死去)らと合流して爆発地点などを調査。10日に「本弾ハ原子爆弾」と判定した陸海軍合同研究会に出席し、報告書を作成していた。

 三井さんが1970年に「ネガは撮影2、3日後に海軍省の命令で焼却された」と16枚の保存プリント写真の存在を公表。「8月8日」に撮り、調査報告書の付録として、ごく少数の関係者に配ったという。原爆資料館が一昨年までに入手した一連のコピー資料と照らすと、今回現存が分かったオリジナルは、撮影場所は同じだが人が歩く位置などが違う。前後に撮られ、配布された別カットとみられる。

 陸軍船舶司令部写真班の川原四儀(よつぎ)さん(1972年死去)が「8月9日」に撮り、大本営調査団の報告書に添付された26枚は原資料とともに資料館へ1994年寄贈されており、陸海軍の原爆調査に使われたオリジナル写真が判明したことになる。

(2010年8月2日朝刊掲載)

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