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悲劇のボタン 後輩が復元 原爆で犠牲 旧制広島市立中生の遺品 基町高卒業生ら 

 原爆で犠牲になった旧制広島市立中(市中)の生徒が残した校章入り陶製ボタンの複製を、後身の基町高(中区)の卒業生たちが作っている。370人を超える生徒と教職員が被爆死した市中。焼け野原から見つかった小さなボタンは、生徒たちの生きた証しであり、平和への願いを伝える数少ない「遺品」だからだ。基町高同窓会が8月6日の市中慰霊祭で遺族や級友に贈り、校内に飾る。(田中美千子)

 ボタンは、川をイメージした3本の波線に「中」の字を重ねたデザインで、茶に色付けしてある。金属が不足した戦時中、陶器で代用し、生徒たちが上着に縫い付けていたとみられる。

 同窓会の依頼を受け、卒業生で市立大芸術学部2年の中村美緒さん(19)=佐伯区=が、粘土に模様を彫り込んで石こうの型を作製。同高創造表現コースの橋本一貫教諭(55)の指導で、100個を目標に作る。在校生も成型などの作業を手伝う。中村さんは「10代前半で命を絶たれるなんてひどい。犠牲者や遺族にとって複製が少しでも慰めになれば」と願う。

 市中では、あの日、爆心地から約900メートルの小網町(現中区)一帯へ建物疎開作業に動員されていた1、2年生が全滅した。約1・4キロの中広町(現西区)にあった学校でも多数の犠牲者が出た。遺骨さえ見つかっていない人も多い。

 複製の見本にしたボタンの持ち主は分かっていない。「生徒を捜した学校関係者が拾った」とだけ伝わり、同窓会が、小網町の慰霊碑の背後に掘った小さな石室で三つを保管してきた。同様に納めてある金属製の水筒と、折れた箸1膳とともに、慰霊祭のたびに碑前に並べてきた。

 被爆69年を迎え、遺族や級友からボタンを懐かしむ声が高まっていた。当時の2年生、天野善郎さん(82)=廿日市市=は海軍に動員され、原爆投下時は今の安佐北区方面へ向かう途中だった。「多くの同級生を失った。後輩が彼らを忘れないでいてくれることがうれしい」。復元されたボタンを胸に抱く日を心待ちにしている。

(2014年7月31日朝刊掲載)

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