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「長束修練院」被爆後の写真発見 「礼拝堂の外壁の柱折れ、扉もつぶれ…」神父の手記と合致

 広島市安佐南区長束西にある被爆建物、イエズス会の長束修練院で、原爆投下から1年以内に撮影されたとみられる写真が保管されていた。爆心地の北約4・5キロで、礼拝堂の窓枠や柱が倒壊した状況を捉え、原爆の威力を伝えている。(和多正憲)

 写真はモノクロ。いずれも木造の、十字架を頂いた三重の塔や礼拝堂を、南側から写したとみられる。爆心地に向いた南側だけが爆風で大きく損壊している。

 修練院は1938年5月に設立。45年8月6日の原爆投下直後、多くの負傷者が礼拝堂に押し寄せ、当時の院長だった故ペドロ・アルぺ神父たちが献身的に救護に当たった。

 写真は修道士が数年前、屋根裏で偶然見つけた。撮影者や時期は不明だ。終戦間もなくから修練院に通い、洗礼を受けた木戸良一さん(84)=安佐南区=は「終戦翌年の夏に礼拝堂の修復を終えていた」と証言。少なくとも被爆から1年以内に撮影された可能性が高いとみられる。

 当時の修練院を知る広島市の名誉市民、故フーゴ・ラサール神父の手記にも「礼拝堂の外壁の3本の柱が折れ、内部の扉もほとんどつぶれ、天井は湾曲して形を変えた」などと記載されており、写真の状況とほぼ合致している。

 修練院の塩谷恵策神父(74)は「当時の惨状が分かる貴重な資料。求めに応じて公開し、記憶の継承につなげたい」と話している。

(2014年7月31日朝刊掲載)

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