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ヒロシマ発平和の芽育て

■記者 桑島美帆

 原子爆弾による未曾有の破壊を経験しながら、廃虚からの復興を果たした広島。再建への道のりでは、市民のたゆまぬ努力とともに、国内はもとより海外からもさまざまな支援を受けた。「だからこそ広島には、国際貢献を身近な問題としてとらえている人が多い」(ピースウィンズ・ジャパンの大西健丞代表理事)との指摘もある。その広島で今、非政府組織(NGO)を中心に、市民レベルでの新しい取り組みが始まっている。国際貢献や、垣根を低くしてより多くの人に参加を促す試みだ。舞台は世界で。そして原点で。新たな壁に挑み、乗り越えようとする団体を取材した。

医師ら海外支援拠点を模索

 8日夕、広島市南区の広島大病院。「カンボジアの医療支援のため、ドクターの派遣に協力してほしい」。中区の医師藤本真弓さん(45)が越智光夫院長に切り出した。特定非営利活動法人(NP0法人)「平和貢献NGOsひろしま」のメンバーである、市内の歯科医師や大学教授ら計6人で訪れた。

 藤本さんらは広島に紛争や災害後の復興支援の拠点をつくろうという目標を持つ。いずれは、岡山市に本部のある国際医療ボランティア団体「AMDA」のような即応活動も取り入れる予定だ。

 院長の返事は「前向きに検討したい。ベテラン医師の派遣も考える」。藤本さんは「ほんの少し、前に踏み出せたかな」と、手応えを感じている。

 このNGOsひろしまは、2004年に行政主導で設立された。藤本さんはメンバーになる以前、県の要請を受けて5回、カンボジアへ派遣された経験を持つ。

 現地では、主に小学生の健康診断や身体測定のプログラムづくりを担当した。健康診断の目的を伝えることから始まったプロジェクトだが、カンボジアに足を運ぶたびに「もっと腰を据えてフォローしたい」と思うようになった。行政主導の「平和貢献」の限界がみえたからだ。

 「県の担当者はすぐ代わるし、何よりも支援プロジェクトは3年という期限付き。広島にも、細く長く復興支援ができる体制が必要だ」。一方で「ヒロシマからの顔の見える支援」が喜ばれていることも実感した。

 自ら一員となり、広島の医師たちのネットワークづくりを呼びかけた。今回の広島大病院訪問はその具体的な第一歩である。

 世界的に知名度のある広島の地に拠点をつくることについて、同席した広島市立大広島平和研究所の水本和実准教授(51)は「被爆者の心のケアや平和教育など、広島には海外の平和構築に適用できる蓄積がふんだんにある。『日本からきた』というと、外国では日米同盟やカネのイメージがつきまといがちだが、『ヒロシマ』からの支援は意図がすんなりと受け入れられる」と意義を説明する。

 広島県内では、ベトナム戦争時代に地雷などで負傷した少年らを招いて治療をしたり、今も草の根レベルで特定の国へ医療支援を続けている団体もある。行政と主要な医療機関は協力して放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE)を設立し、17年前から海外の被曝関連被災者への医療支援の経験を積んできた。こうした広島の土壌が藤本さんたちの活動を後押ししている。

若者ら爆心地を清掃

 原点の地である平和記念公園(中区)。ここでは、NPO法人による清掃活動が広がりを見せている。国内外からの訪問者を迎えるヒロシマの「顔」を清めるというささやかな取り組みだが、若い世代にも平和にかかわる一歩を踏み出すきっかけを与えている。

 日曜日の11日、雨上がりの朝。公園の東側にある元安橋のたもとに三々五々、作業しやすい服装で人が集まってきた。幼稚園児から70歳代まで約50人。「HPS国際ボランティア」の呼びかけに応じて月1回、ごみ拾いをする人たちだ。実業団女子ホッケーチームの現役選手たちも加わっている。

  「被爆後の広島の人たちは復興に命をかけた。銀行も輸送会社も広島を立て直す使命感にあふれていた」。代表を務める佐藤広枝さん(69)=広島市東区=は、ごみ拾いを始める前の5分間、毎回参加者を前に自らの被爆体験とともに、復興期の広島を生きた人たちの生きざまに触れる。

 「原爆慰霊碑には戦後亡くなった人も含めて25万人以上の御霊(みたま)が眠っている。公園を自分の手できれいにすることで、死にものぐるいで生きた先人たちに思いを寄せてほしい」と佐藤さん。

 参加者の大半は、ネットでエコ活動を検索していてたまたまたどり着いた、という人たちだ。安田女子短大二年の市川真衣さん(19)=安佐北区=は「環境ボランティアに興味があり、友達と参加した。佐藤さんの話を聞いて、平和とか被爆体験に向き合うようにもなった」と、自分自身の変化を感じている。

 広島で暮らしていると「平和活動はいつも同じ顔ぶれだ」「なかなか輪が広がらない」という声を聞く。しかし着実に、新しい芽が出ているのではないか。ヒロシマ発の平和活動が、多様な形で伸びてほしい。

(NPO法人)ピース・ウィンズジャパン 大西健丞代表理事(40)に聞く

 国際支援ボランティアには「草の根」と「事業体」という二つのタイプがある。これまで広島には個人レベルの支援団体はたくさんできたが、継続して復興支援や緊急災害支援に取り組む拠点となる組織がまだない。

 隣の岡山県では、国際医療ボランティア団体「AMDA」が1984年から、発展途上国に対する医療支援の実績を積み重ねている。中国やミャンマーで起きた緊急災害などにも迅速に対応している。

 街の規模からすれば広島にも同様の拠点組織ができる可能性は十分ある。被爆体験に基づいた平和教育などを通して、国際貢献を身近な問題としてとらえている人も多い。

 今回、藤本さんたち広島の医師らが、地元の医療支援体制づくりに取りかかったことは大きな一歩だ。

 AMDAの一昨年度の収支計算書を見ると、寄付金が約1億8000万円にものぼる。広島でも企業など地元の協力をどこまで得られるかという点が、拠点組織づくりの鍵となる。

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