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社説・コラム

『この人』 「ヒロシマ戦後史」を著した元広島女学院大教授 宇吹暁さん 

時代別の捉え方 通史に

 「史料整理屋」と自称する。あくまで事実の積み重ねにこだわり、評価を極力控える仕事を心掛けてきた。「時代ごとに異なるヒロシマの捉え方を、一つの通史にまとめた」という「ヒロシマ戦後史」も、そのスタイルを貫いた。

 復興の歩みとともに、被爆者運動が国内に広がった被爆20年までの「全国化」。国連が広島市の平和記念式典に関わりだす被爆30年以降の「国際化」を経て、今は「歴史化」の時代と位置付ける。「被爆者が高齢になり、生の証言を聞く機会が減る中、原爆資料が重みを増す」

 呉市出身。家族に被爆者はいない。しかし、学生運動のさなかに入学した京都大のオルグで、同級生はヒロシマについて質問を重ねてきた。「何も語れず恥ずかしかった。それから原爆と向き合うようになった」

 広島県史編さん室や広島大原爆放射能医学(現放射線医科学)研究所を経て、2011年3月まで広島女学院大に勤務。一貫して「被爆史」を研究対象にしてきた。1977年には、「被爆70年間は草木も生えない」という「70年生物不毛説」は、米紙の報道が基だったことも突き止めた。

 集大成にと軽い気持ちで考えた新著の出版。「けど、東日本大震災が起き、福島の放射線被害と広島との関連を整理するのに結局、時間を大きく割いた」

 事実を見極めるため「一歩引いた立ち位置」にこだわる。日本被団協の初代事務局長、故藤居平一さんの言葉「庶民の歴史を世界史にする」を常に胸に刻んでいるという。呉市で妻(67)、義母(90)と暮らす。(和多正憲)

(2014年8月2日朝刊掲載)

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