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神父の志継ぎ聖堂で座禅会 広島の世界平和記念聖堂 故ラサール氏にならい信者らが復活

心の安定 世界平和の鍵

 カトリック広島司教区が、原爆犠牲者の慰霊や世界平和を願い建設された世界平和記念聖堂(広島市中区幟町)で毎月、座禅会を開いている。広島で被爆し、聖堂建設に尽くしたフーゴ・ラサール神父(1898~1990年)が地下で座禅をしていた姿勢にならい3年前、信者を中心に復活させた。「一人一人の心の安定が世界平和につながる」との遺志を継ごうとする取り組みだ。(桜井邦彦)

 薄暗い地下聖堂に7月18日夜、信者たち8人が集まった。壁と平行に並べた長いすに座布団を載せ、壁側を向いて座る。静かな聖堂で2時間近く、姿勢を正して腹式呼吸で息を整える。

 座禅会は2011年7月、幟町カトリック教会で当時の主任司祭だった後藤正史さん(60)、信者の青葉憲明さん(66)を中心に始めた。参加は宗派を問わず、毎月第3金曜日の夜、10人前後が集う。青葉さんは「何も考えず呼吸に集中していると迷いが消えていく。座禅を通じ、いらだつこともなくなった」と話す。

独訪問が契機

 座禅の復活は、2人が同年、ドイツ・エッセンの教会を訪ねた体験がきっかけ。招いてくれた神父はラサール神父の弟子で、教会の禅専用の部屋にラサール神父のレリーフを据えている。世界平和記念聖堂にあるものと同じデザインだ。

 そこでは毎週、座禅会が開かれ、2人が訪ねた時も約40人が参加していた。青葉さんは「ラサール神父を慕ってドイツで座禅をしている人がいて感激した」と振り返る。その場で広島での座禅会の復活を促され、決心したという。

 ドイツで生まれたラサール神父は、布教のため1929年に来日した。幟町教会の主任司祭として司祭館の2階にいて被爆。ガラス片を受けるなどして背中や足に重傷を負った。その後、世界を飛び回り、各国から資金援助や、パイプオルガンなど物品の寄贈を受けて聖堂を54年8月6日に完成させた。

 座禅は日本人の心を理解する手段として43年ごろに始め、禅寺などで修行を積んだ。48年に日本国籍を取り愛宮真備(えのみや・まきび)と名乗った。完成後の地下聖堂でも頻繁に座っていたという。62年には東京都に移り、その後、檜原村に座禅道場「秋川神冥窟(しんめいくつ)」を建設。70年ごろからはドイツなど欧州で座禅を広めて回った。

ことし60周年

 神冥窟は、まな弟子のクラウス・リーゼンフーバーさん(76)=東京都千代田区=が引き継ぎ、今も座禅会を開く。リーゼンフーバーさんは「座禅は愛宮神父にとって訓練であり修行だった」と振り返り、「ヒロシマと深くつながり、平和のために働こうと思っていた。座禅を通じて、対立にとらわれない心の平穏を目指していたのでしょう」と推し量る。

 3年前に座禅を復活させた後藤さんは、光カトリック教会(光市)に今春移ったが、自室で毎日30分の座禅を続ける。キリスト教で座禅を取り入れる意義を、「座禅は乾いた心を空っぽにし、自由になれる。おごったり、卑屈になったりする自己中心的な現代人にとって、宗教や民族を超えて役立つ」と強調する。

 原爆犠牲者の追悼と慰霊、平和のシンボルとして建設された世界平和記念聖堂。ことし8月6日で60周年を迎える。「世界平和への出発は自分の心の平和です。心の中の災いが戦争。人間の心が変わらなければならない。一人ずつが努力をしていきたい」。ラサール神父のこの言葉を胸に刻む後藤さんや青葉さんは、座禅を「努力」の象徴として捉えている。

世界平和記念聖堂
 幟町カトリック教会で被爆したフーゴ・ラサール神父が、1946年9月にローマ法王(教皇)ピオ12世の賛同を得て、寄付を募りながら欧州や南米、北米を回り、建設にこぎ着けた。設計は村野藤吾。約1億円かけた。2006年、国の重要文化財に指定された。

(2014年8月4日朝刊掲載)

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