×

社説・コラム

2014平和のかたち~ヒロシマから 写真家・石内都さん

遺品と対話 自由に表現

 この夏、また一つ、ブラウスを撮った。23歳で被爆死した女性の遺品。元は白かったけれど、遺族が血痕を洗ううちにピンクになったという。1人ではできない仕事。原爆資料館の皆さんの力添えのおかげだ。

 記録や報道ではない、「創った」写真。実物は折りじわがきつく、傷みが目立つ。それを一番格好よく見えるよう整え、自然光で撮る。被爆遺品をきれいに撮ることに意見もされるが、原爆を受ける前はもっときれいだったんだから。

 2008年の写真集「ひろしま」のために始めた。最初の撮影は07年。それまで広島に来たことはなく、依頼を受けた時は戸惑った。ヒロシマは撮り尽くされている気がして。

 でも、初めて原爆ドームを見た時に「撮れるかも」と思った。反戦平和の巨大なシンボルと思っていたドームが、私の目には意外と小さく、かわいらしかった。先入観に縛られていたと分かった。

 資料館で遺品の服を見た。私の中ではモノクロのイメージだったのに、色がとってもきれい。生地の質もいい。丁寧な手縫いに母の思いが表れている。なんだ、当時、私がこの年頃なら着ていた服かもしれないんだ―。そう気付くと、遺品の向こうにいる「人」が見えてきた。

 以来、今まで撮り続けているが、出会いの新鮮さは変わらない。この服を着ていたのはあなた? そう、こんにちは。そんな声を掛けて撮る。

 私のデビュー作は、神奈川県横須賀市で取材した「絶唱・横須賀ストーリー」(1979年)。小学生から高校生まで過ごした、米軍基地の街。公にならない米兵の犯罪も身近にあった。今になって、ヒロシマにつながる縁を感じる。今では広島に懐かしさを覚える。原爆の本当の痛みは私には分からない。分からないけれど、近く感じる。

 記録でも報道でもない私の写真が、平和への力になるかは分からない。ただ、表現とはつまり反戦平和だと思っている。表現にはいろんなアプローチがあっていい。もっと自由でいい。(聞き手は道面雅量)

いしうち・みやこ
 群馬県桐生市生まれ。神奈川県横須賀市で育つ。「絶唱・横須賀ストーリー」など街の気配を捉えた初期作に続き、母の遺品を撮った「Mother’s」で注目を浴びる。木村伊兵衛賞、ハッセルブラッド国際写真賞などを受賞。「ひろしま」から続く被爆遺品のシリーズを最新刊「Fromひろしま」にまとめた。東京都目黒区在住。67歳。

(2014年8月4日朝刊掲載)

年別アーカイブ