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社説・コラム

社説 被爆建物 いま一度 価値の議論を

 被爆建物の危機があらためて浮き彫りになったといえよう。

 広島市がリストアップしている民間の65の被爆建物を対象に、本紙がアンケートしたところ、42の施設の所有者や管理者が今後の保存に不安を抱いていた。来年は被爆から70年。建物の「寿命」を考えれば、先行きが見えないのは当然だろう。

 半面、寺院や神社を中心に、多くの回答者が「永久保存」の意向を持つことには頭の下がる思いがする。被爆建物の多くは補修や改修を何度も繰り返してきた。それぞれ維持管理の努力がなされてきた証しだろう。

 解体後、外壁や柱、玄関などの一部を新築の建物にモニュメントとして残すことは、次善の策として評価できよう。見て歩くという、平和学習の分かりやすい教材になる。

 だが、いつまでもそれぞれの志だけを頼みにはできまい。

 爆心から5キロ以内を基準にした広島市の被爆建物の登録制度は1993年に始まり、保存工事費に助成する要綱を設けた。だが、96年の98施設をピークに、現在は公共の建物を含めて85施設に減少した。

 事務所や店舗に活用されている場合、劣化で安全性や機能性に支障が出てくる。再開発で建物そのものが消えた例もあれば、銀行のようにシステム化に伴って建て替えた例もある。

 しかし、歳月にあらがい、被爆建物を後世に残す意義は今後一層強まるのではないか。

 被爆建物は核爆発の脅威と非人道性を無言で語る。被爆者にとっては救護や避難の場だった。碑や被爆樹などとともに記憶をたどる、よすがでもある。

 それだけに、市に解体を止める権限がないことはやむを得ないにしても、取り壊しや建て替えの情報があれば世論に問い、所有者を交えてじっくり話し合う必要があるのではないか。その上でできうる限りの保存への手を打つべきだ。

 関西の中学生が「きれいな立派な街だと思いました」という広島の印象を残していた。広島高校生平和ゼミナールの88年の出版物にある。この時点で、原爆ドームを除けば被爆の痕跡は既に薄れていたといえよう。

 被爆直後、恒久平和のために焼け跡をそのまま残し都市機能は移転すべし、という復興私案が公になったことがある。今では極論に思えるが、フランスではナチスの蛮行で廃虚になった村をそのまま保存している。

 歴史の針は元に戻せないが、原爆投下という「絶対悪」の痕跡の、これ以上の消失は食い止めなければなるまい。

 松井一実市長は先日、被爆建物の保存措置を見直す方針を示した。「建物自身が持つメッセージを的確に伝えるため、弾力的で多彩な支援策を考えたい」という前向きなものだ。

 ならば公共の建物の場合、まちづくりと絡めて策を練るべきだろう。広島大跡地の広島大旧理学部1号館や、一群の「赤れんが」として残る旧陸軍被服支廠(ししょう)を重点に、都市計画や建築としての評価と有機的に結び付けて市民ぐるみで考えたい。

 世界遺産に登録された原爆ドーム周辺の景観対策も、急を要する課題である。広島では平和記念都市建設法が今も生きている。ドームを含めた被爆建物のトータルな保存・活用策を考える時期が来ていよう。

(2014年8月5日朝刊掲載)

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