×

ニュース

福山空襲伝え40年 元中学教諭の岡田さん 「同じ道を歩まぬように」

 1945年8月8日の福山空襲を体験した岡田智晶さん(83)=福山市水呑町=が、空襲を伝える活動を約40年間続けている。あの日からもうすぐ69年。「同じ道を歩まないためにも、空襲、戦争の恐ろしさを知ってほしい」と話す。(小林可奈)

 岡田さんは中学校教諭だった73年、教諭5人で「福山空襲を記録する会」をつくり代表に就いた。会員は約50人に増え、空襲の体験を約200人から聞き取って75年と85年に証言集を出版。炎の中を逃げ惑い、家族を失った市民の惨劇を伝える企画展を開き、執筆活動にも携わった。

 教育現場でも平和活動に力を入れた。生徒と一緒に空襲を題材にした紙芝居を制作し、学校や幼稚園で証言活動を続けてきた。

 活動の原点となったあの日、14歳だった岡田さんは入船町の自宅にいた。空から花火のように焼夷(しょうい)弾が落ち、あっと言う間に自宅に火の手が迫った。消火活動もままならず、炎の中を走った。逃げ延びた先から見た市街地は火の海と化していた。同級生も失った。

 大切な人やものを奪う戦争の現実を伝えようと活動してきた。しかし、近年は体が思うように動かず、講演依頼を断ることも増え、自宅を訪ねて来る人に話すのにとどまっている。

 それでも、安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことに「戦争に巻き込まれる可能性が高まっている」と不安が募る。「69年前の体験を伝えなければ」。思いを新たにしている。

福山空襲
 1945年8月8日午後10時25分ごろ、91機の米軍B29爆撃機が福山市の上空に飛来。約1時間にわたって焼夷(しょうい)弾を投下した。市街地の約8割に当たる314ヘクタールが焼失。350人余りが犠牲になり、1万179戸が焼失した。

(2014年8月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ