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「証言は最後」被爆者の覚悟 三原市本郷の中村さん、NPT会議で来年訪米へ

 三原市の本郷町原爆被害者友の会の中村澄子副会長(80)が被爆70年の来年、日本被団協が米国に派遣する代表団に加わるつもりでいる。代表団派遣はニューヨークの国連本部である5年に1度の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、50人規模の予定。中村さんは前回と前々回も参加しており「年齢的にも最後の機会。戦争の悲惨な結果を伝えに行きたい」と心に決めている。(鴻池尚)

 原爆投下時、11歳だった中村さんは広島市安佐南区の国民学校で授業中だった。帰宅途中に黒い雨を浴びたという。翌日から親戚を捜すため父親と市中心部に入り被爆。「市内は焼け焦げた人であふれ地獄のようだった」と言葉を詰まらせる。

 被爆体験の証言活動は被爆者健康手帳を取得した約30年前に始めた。夫に先立たれて10年余りが過ぎていた。「生かされている命を還元しなければと思った」と話す。

 日本被団協のNPT再検討会議への代表団派遣は2005、10年に続いて3回目。過去2回は学校や教会を巡って惨状を伝え、反戦を訴えた。「原爆で戦争が早く終わったと言われショックを受けたこともあった」と中村さん。「それでも根気よく、押しつけることなく伝え続ければ思いは必ず通じる」と信じる。

 05年の訪米後、脳梗塞とがんの手術を相次いで受けた。両膝の関節症と併せ、リハビリの毎日。「私たちは伝承できる最後の年代。今回も代表団に入って平和を訴えたい」と力を込める。

 11日は三原リージョンプラザ(円一町)である映画「アオギリにたくして」の上映会場で被爆体験を語る。リージョンプラザTel0848(64)7555。

(2014年8月5日朝刊掲載)

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