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「8・6祈りの場なく残念」 江津の有福温泉荘が閉鎖7ヵ月 被爆者ら新施設望む声

 江津市有福温泉町の原爆被爆者有福温泉療養研究所「有福温泉荘」が2013年末に閉鎖されてから7カ月。原爆の日の6日を前に被爆者と地域住民から、平和への祈りを共有する場がなくなったのを惜しむ声が相次いでいる。(松本輝)

 同荘は1967年、広島原爆障害対策協議会(広島市中区)が被爆者の温泉療養施設として開設。46年間で延べ83万7千人が利用したが、被爆者の高齢化に伴う利用の減少と、施設の老朽化で閉鎖した。毎年8月6日には、近くの小学生や住民を集めて原爆死没者追悼式・平和祈念式を開いていた。

 被爆者の羽山恒義さん(89)=同市南区向洋新町=は妻の末子さん(88)と共に昨年まで10年以上、同荘で原爆の日を迎えていた。「広島市の式典は人が多くてせわしなく感じてしまう。施設は静かに祈りをささげることができる場所だったので、閉鎖は残念」と惜しむ。

 古木君子さん(90)=同市安佐南区長束=は2010年から同荘を3カ月に1度利用し、12、13年には追悼式にも参加した。「他の被爆者と知り合い、多くの友人ができた。地域の人とのおしゃべりも大切な時間だった」と振り返る。

 同荘は、被爆者と地域住民の交流の場でもあった。川波小(江津市敬川町)2年の森口花風(はるか)ちゃん(8)=同市有福温泉町=は「学校の行事で行った時、被爆したおじいさんやおばあさんの話を聞いて戦争の怖さを知った」と話す。

 旧有福温泉小(11年、川波小に統合)の児童は04年、平和を願うハトのちぎり絵を同荘に贈った。絵は今、有福温泉地域コミュニティ交流センター(同町)に飾られている。盆子原温(たずね)センター長(64)は「ちぎり絵に込められた平和への思いを、センターを訪れる子どもに話して受け継いでいく」と語る。

 鉄筋2階建て延べ1488平方メートルの施設は取り壊され、敷地約3200平方メートルは7月から駐車場になった。広島市東区の社会福祉法人理事長が新たな被爆者向け宿泊施設の建設を検討しているが、結論は出ていない。羽山さんは「被爆の記憶を伝承する場でもあった。子どもたちに平和の大切さを伝えるためにも、新しい施設ができれば」と願う。

(2014年8月5日朝刊掲載)

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