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社説・コラム

『言』 「あの日」伝える楽曲 市民がともに奏でたい

◆「ヒロシマと音楽」委員会メンバー・能登原由美さん

 原爆投下から69年。あの日を知る被爆者が減ってきた。惨状を直接聞くことは難しくなりつつあるが、平和の願いを込めた芸術作品は継承や発信を担いうるに違いない。そう信じて楽曲をデータベース(DB)化し、活用を考えるグループがある。「ヒロシマと音楽」委員会の能登原由美さん(43)に課題や取り組みの展望を聞いた。(論説委員・田原直樹、写真も)

 ―ヒロシマに関する音楽は一体、どれくらいあるんですか。
 これまで1900曲以上について題名や製作年、作曲作詞者、歌詞などをDB化しました。あの日の惨状や反核をテーマにした交響曲や合唱曲、ジャズ、歌謡曲など多彩です。

 前身の実行委員会が着手し、10年前に完成しましたが、今も新たに作られる音楽や発掘される曲があれば情報を更新し、楽譜や資料も収集しています。

 ―文学に比べると、音楽には優れた作品でありながら知られていない曲が多そうですね。
 例えばフィンランドのエルッキ・アールトネン(1910~90年)の「交響曲第2番ヒロシマ」もそうでしょう。被爆から4年後、器楽曲ではいち早く作られました。55年には広島でも演奏されたことが中国新聞にも載りました。でもこの曲もそうですが、音源がなく、今では聴けない音楽が多いのです。

 ―聴けないとは残念ですね。
 音楽というものは、DBに記録を残し、楽譜を集めて箱に入れておくのでは意味がありません。奏でて聴いてもらわなければ。それで4年前からコンサートを開き、知られていない曲を中心に紹介しています。共鳴してくれる地元の音楽家に演奏を依頼。ヒロシマのメッセージを伝え、現代社会に問い掛けるような内容を心掛けています。

 ―音楽には人に訴え掛け、動かす力があるんですね。
 例えば、反戦ソングは人々を平和運動へと団結させた時代がありました。一方で多くの軍歌のように、戦意を高揚し、戦争へ向かわせる楽曲もありました。音楽は魔術的で多くの人を巻き込みやすい特徴を持つ、と言えるかもしれません。ヒロシマの音楽にはメッセージ色が強いものもあり、残念ながら中には敬遠する人もあるようです。曲に込められた純粋な祈りを伝えることが大切です。

 ―ヒロシマを表現した音楽に特徴はありますか。
 作品が生み出され、演奏される過程や、作品が人々に受けとめられる経緯に特徴があり、考えさせられます。

 例えば、アールトネンの交響曲は、東欧諸国で絶賛されました。いい作品なのに西側では演奏されませんでした。米ソ冷戦が背景にあり、イデオロギーが作品の評価に影響を与えたわけです。でも日本での演奏に政治的、イデオロギー的な背景はなかったようです。被爆者を慰めるという、作曲者の純粋な意図の通りに奏でられて実際、深い感動を呼びます。ヒロシマの表現と音楽的、芸術的な価値がゆがめられず、伝わったのです。

 ―さまざまな歩みの作品があるのですね。
 DBには、作曲者偽装で騒動を起こした佐村河内守氏の「HIROSHIMA」とタイトルした交響曲もいったんは入れました。CDが売れたのは、「現代のベートーベン」などと取り上げたメディアの影響も大きかったはずです。その後、創作の背景に疑惑が発覚したのは、ご存じの通りです。原爆や反核をテーマにした他の音楽に、売名目的の創作があったかもしれませんが、DBに入れています。それも被爆地広島の歴史だと思います。

 ―ヒロシマの音楽を今後どのように活用すべきでしょうか。
 「世界への発信」をうたい文句に、これまで多額のお金を費やして有名な歌手を呼んだ大規模イベントがありました。でも大抵、市民は聴く側にとどまり、参加型でも一部の人だけ。70年近くたって時代や環境も大きく変わったのに、相変わらず、「平和」を掲げた曲を歌うだけの内容が多い。継承を考えるなら、頭をひねり、知恵を絞らないといけません。

 ―どんな取り組みですか。
 私たちの価値観で「平和の願いがこもったこの曲、すごいでしょ」といって、若い世代に押しつけるのでは、継承できず、風化する一方でしょう。聴衆が受け身ではなく、主体的に音楽に関われるような形態の催しを探りたい。子どもたちとともに、この歌を今なぜ歌うのか、集まった市民が問題意識を共有して声を合わせることが大事なのではないでしょうか。

のとはら・ゆみ
 広島市西区生まれ。広島大大学院教育学研究科博士課程修了。学術博士。専門は西洋音楽史。広島市内で小学校教員、広島大大学院特任助教などを務めた。95年、「ヒロシマと音楽」実行委員会に加わり、03年からは「ヒロシマと音楽」委員会の委員に。07年から昨年まで委員長を務めた。京都市上京区在住。

(2014年8月6日朝刊掲載)

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