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社説・コラム

社説 ヒロシマ69年 「記憶」を継ぐのは私たち

 私たちは歴史から、被爆者の言葉から、いったい何を学んできたのだろう。

 戦後69年間、核兵器がゼロとならない国際情勢に、被爆地は異を唱え続けてきた。だが、これまで地球上に争いごとの尽きる日が訪れなかったように、核なき世界はいつになっても手の届かない雲のような存在に思えてくる。

 米国が落とした原爆の、あのきのこ雲の下で人間がどんな悲惨な目に遭ったのか、わが事として理解する人が少なくなったせいかもしれない。あの戦争を知らない世代が増えた。被爆者は老いた。

 体験の継承と発信、そして核兵器廃絶の訴えに、ヒロシマは戸惑いや無力感を強めている。見渡せばあちこちに、諦めが澱(おり)のように沈んでいる。それこそが、あの日から70年近くの歳月がもたらした「風化」の正体に違いない。

 あらがおうとする人は少なくない。きのう広島市内で発足した胎内被爆者の全国連絡会に集った人たちも、危機感を隠さなかった。母のおなかの中で体験したことを、自らの言葉で語れるわけはない。それでも「最年少の被爆者たち」は父母の体験を、自らの戦後を、懸命に伝えていくとの決意を口にした。世代をつなぐ使命を自覚するからだろう。

 100人の被爆者に100通りの体験がある。ただ、その訴えはシンプルに集約され、聴く者に核なき世界への覚悟を問い掛ける。「ほかの誰も、自分たちと同じ目に遭わせてはならない」と。

人類生存の条件

 きょう松井一実市長は4年続けて平和宣言で被爆者の声を代弁する。平和記念式典に参列する安倍晋三首相やケネディ駐日米大使らは、しっかりと受け止めてほしい。核兵器の破壊力に惑わされてきた人間、とりわけ為政者や科学者の弱さをかみしめてもらいたい。その廃絶は人類生存のための最低条件であり、何があっても実現しなければならないことを、きょうからの行動で示すべきだ。

 しかし残念なことに、わが国や核保有国の政府の動きには、期待感よりも危機感を覚えざるを得ない。

 国民の過半数の反対にもかかわらず被爆国政府は、集団的自衛権が行使できるよう憲法の解釈変更を閣議で決めた。

 集団的自衛権はあっても行使はできない。政府は長い間、憲法9条をそう解釈してきたのに、一気に百八十度変えた。その性急さが理解できない。無理を重ねて言い繕うほどなら、堂々と憲法の条文を変えるのが筋ではないか。

 むろん軍事的な備えだけで東アジアが平和になるとは、安倍首相も思っていないことだろう。際限のない軍拡競争となれば、より強大な兵器、すなわち一撃で相手を消滅させる核兵器に頼る思考へと、たやすく流れがちだ。

「核の傘」の矛盾

 だが、そもそも被爆国として、米国が差し掛ける「核の傘」に自国の防衛を依存しながら、核兵器の廃絶を口にすること自体が自己矛盾にほかならない。集団的自衛権の行使容認は、その核抑止力との結びつきを強める方向に働くからこそ、ヒロシマの懸念はいっそう高まる。首相がそこを忘れてもらっては困る。

 もちろん核兵器の増強に走る中国も、体制存続には核武装しかないという北朝鮮の振る舞いも、どちらも認められない。しかし、だからこそ朝鮮半島も日本も核開発に手を出さず、中国を含めた周辺国からは核攻撃しない約束を取り付ける。そんな非核地帯条約こそ、被爆国なら率先して取り組むべきではないか。

 そうした軍縮外交の道行きを照らすのが平和憲法であるはずだ。戦争放棄は理想にすぎないとし、むしろ現実に合わせて理念をほごにする。そんな考えには決して、くみすることができない。

 一方、被爆者たちの声に押される形で政府はやっと、核兵器の非人道性をうたう国際声明に同調した。ならば、使用を前提とした脅しである核抑止の考え方も放棄するのが自然だろう。

 核保有が確実視されるイスラエルはパレスチナ自治区ガザとの戦闘を繰り返す。米国と並ぶ核大国ロシアを後ろ盾にして、ウクライナ東部でも流血の惨事が続く。核抑止力が地域の安定をもたらしているとは到底いえまい。

禁止条約実現を

 しかも核保有国の理屈に任せていては核軍縮は遅々として進まず、むしろ持とうとする国が増えるばかり。一方で広島、長崎の犠牲を忘れてはならないと、核兵器禁止条約を求める世界の潮流が生まれてきた。ところが政府は「時期尚早」として背を向けたままだ。

 これで「唯一の戦争被爆国」と名乗るのは、どう考えても、ふに落ちない。

 原爆投下の年末までに亡くなった広島の犠牲者は14万人とされる。しかし、あくまで推定であり、犠牲者の名前を一人一人積み上げてきた市の動態調査では、まだ9万人にも満たない。

 家族全員が死亡したり、軍人が被爆直後に広島を離れたケースなど「空白」が残るためといわれる。人間が生きてきた証しも、その死も、一瞬にして消し去ってしまう。核兵器が人道にそむく「絶対悪」と呼ばれるゆえんだ。

 このヒロシマの地には、そうした歴史の空白が埋まっている。語り尽くせないほどの記憶も染みこんでいる。それを掘り起こす私たちの営みこそが、核兵器をなくす力となるはずだ。被爆地は核抑止力をきっぱりと否定し、世界平和を築く希望の光であり続けたい。

 あの日は誰かが伝えてくれるものではない。一人一人が伝承者なのだ。

(2014年8月6日朝刊掲載)

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