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連載・特集

被爆を伝えて <2> 児童文学作家・朽木祥さん 「共感共苦」促す文学の力

 被爆2世で、広島市出身の児童文学作家、朽木祥さん。本格的に児童向けの物語を書き始めたのは40代半ば。動機は「ヒロシマ」だった。母は、女学校1年だった13歳の時、三滝駅(現広島市西区)で被爆した。被災者がやかんを手にかけ、落とすと後ろの人が拾う。そんな光景を母から何度も聞かされてきた。

 広島市で育ち、小学校では周りの9割が同じ被爆2世だった。近所には、帰ってこなかった娘のことを、けさのことのように話す人もいた。「突然、大切な人が帰ってこなかった経験を周囲の多くの人が抱えていた。これはいつか書かなければ」。そんな使命感が芽生えた。

幼い読者のため

 ヒロシマを初めて紡いだのはデビューから3作目。「彼岸花はきつねのかんざし」(2008年、学研)だ。当時、編集者から「今の子どもは、戦争や原爆の話は、むごい、怖いと言って手に取らない」と聞いた。何とか読みやすい本にと、構成を練った。

 物語は、民話のような優しい語り口で始まり、平和な家族の日常が一発の爆弾でプツンと断ち切られる姿を描く。

 大切にしたのは、悲しみやつらさに共感し、共に苦しむ気持ちを呼び起こす「共感共苦」だ。例えば、かわいがっていた猫が急にいなくなったり、仲良くなった転校生が再び転校したり。子どもに、原爆を自分のこととして捉えてもらえるよう心を砕いた。

 それでも、「8月6日にヒロシマにいなかった人が、絶後の惨禍を描き出すことは不可能だ」と語る。米国の原爆投下は、人類が初めて経験した「想像を絶する」事件だからだ。

 一方で、「読む人の想像力に訴えて目撃させることはできる」と考える。必ずしも正確に、どのように皮膚を焼かれたかは「目撃」できなくても、心象は推し量れる。一発の爆弾が何を奪い、何を壊したのかは描ける。「それが、文学の力だと思う」

反省込めた近作

 ヒロシマを「物語」として書くことには「被爆者の証言や、それに基づくノンフィクションとは別の意味がある」と考えている。連作集「八月の光」(12年、偕成社)では、モチーフに母や親族の被爆体験も取り入れたが、物語はあくまでも創作。「読み手の心に残る、普遍的な問題意識を投げ掛ける」。そんな文学の力を最大限に引き出すためだ。

 昨秋に出した「光のうつしえ」(講談社)は、中学生が被爆証言を聞き取り、絵画などで表現する物語だ。主人公の名前は希未。未来を希望するという意味のほかに、いまだに希望を果たしていないという意味も込めた。

 舞台は、被爆25年後の広島。主人公は、朽木さんと同世代でもある。「私たちの世代が今まで何をしてきたか。ひょっとしたら、核の平和利用という修辞にごまかされ、ヒロシマを伝えることを怠ってきたから、今の原発の問題が起きてしまったのではないか」。そんな反省も込めている。

 「不穏な空気が日本全体に流れているような。戦前の状況と似ているのでは」と危機感を募らせる。「深い『共感共苦』をもって、人々にヒロシマが記憶されていけば、きっと未来への警戒につながる」。そう信じて書き続ける。(石井雄一)

くつき・しょう
 1957年広島市生まれ。基町高を卒業し、上智大大学院博士前期課程修了。2009年、「彼岸花はきつねのかんざし」で第33回日本児童文芸家協会賞。14年、「光のうつしえ」で日本児童文芸家協会の第9回福田清人賞。神奈川県鎌倉市在住。

(2014年8月6日朝刊掲載)

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