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被爆ポンプ府中市で活躍 爆心地から3.4キロ 2年かけ修理 歴史物語る 広島

 69年前の広島への原爆投下時に爆心地から約3・4キロの民家の玄関先にあった「被爆ポンプ」が、府中市中須町の会社社長佐野資起(もとおき)さん(69)方で使われている。佐野さんは「府中の人が原爆について思うきっかけになれば」と話す。(筒井晴信)

 ポンプは取っ手を上下させて水をくみ上げる。金属製の本体は高さ65センチ、幅20センチ、奥行き45センチ。「TAIYO PUMP 大洋」の刻印がある。佐野さんの近所の小坂家久夫さん(73)の妻の実家で戦前から使われていた。

 小坂家さんの妻の実家は広島市西区高須にあった。原爆で大きな被害は受けず、ポンプも無事だった。約20年前に同市安佐南区に移って以降、ポンプは庭の片隅に放置されていたという。

 朽ちる寸前だったポンプが再び、府中市で活用されるようになったのは3年前、佐野さんが、野菜を栽培する畑の水やりについて小坂家さんに相談したのがきっかけ。小坂家さんが妻の実家のポンプを思い出し、「よみがえらせたい」と修理を始めた。機械メーカーでの勤務経験も生かし、分解してさびを取るなどして2年がかりで使えるようにした。

 佐野さんは毎日2回、ポンプでくみ上げた水を自宅近くの畑にまいている。「時々、被爆し、水を求めて亡くなった人のことを思う。歴史を伝えるポンプであり、大事に使いたい」と話す。

(2014年8月6日朝刊掲載)

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