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社説・コラム

社説 被爆地の訴え 発信力は十分だったか

 碑文の誓いを破り、過ちを繰り返すものだ―。米国による広島への原爆投下から69年となったきのう、被爆者団体の代表が安倍晋三首相に迫った。

 引き合いに出した平和記念公園の原爆慰霊碑は「安らかに眠って下さい 過ちは繰(くり)返しませぬから」と刻む。碑文の主語は人類全体を指すとされる。

 安倍政権が先月、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認した閣議決定を厳しく批判してのことである。「被爆者代表から要望を聞く会」に出席した7団体の連名で、決定を撤回するよう求めた。

 年老いた被爆者たちが声を上げるのは、戦争への道を再び開きかねないという懸念が拭えないからである。こうした切実な思いを、首相はしっかりと受け止めるべきだ。

 平和憲法の解釈を変更した閣議決定後、初めての原爆の日に、被爆地が発するメッセージが注目されていた。被爆者団体の代表が真正面から首相に語り掛けたのに対し、松井一実市長が読み上げた平和宣言はどのように伝わっただろうか。

 松井市長になって4年目のことしは、被爆者の体験談を織り込む手法の集大成の年でもある。多くの同級生を失った元動員学徒や、廃虚の街で辛酸をなめた原爆孤児たちの言葉に、心揺さぶられた人が多かろう。

 核兵器を「絶対悪」と位置付け、非人道的な脅しではなく、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりも求めている。被爆地として当然の姿勢といえる。

 しかし集団的自衛権の行使容認をどう考えるのかについては直接、言及しなかった。

 確かに平和宣言は、憲法の平和主義のもとで戦争をしなかった事実を重く受け止め、「今後も名実ともに平和国家の道を歩み続ける」よう政府に求めている。安倍政権の安全保障政策を暗に批判したとも読み取れる。

 だが明確なメッセージとは言い難い。長崎市が9日の平和宣言に「集団的自衛権」という文言を盛り込むだけに、広島市民から物足りなさを指摘する声が聞かれるのも無理はない。

 さらには、きのうの平和宣言で、原発を含めたエネルギー政策の在り方について全く触れなかったのは、どうしてだろう。2011年の福島第1原発の事故以降、核に関わる問題として3年連続で盛り込んでいたはずである。

 いまだに原発事故は収束の道筋が見えず、約13万人が避難を続けている現状を忘れてはならない。放射能の恐ろしさを知る広島市民として、いま一度、福島の人たちの暮らしに思いをはせるべきではなかったか。被災地に寄り添う姿勢を示し続ける必要があろう。

 先月には、原子力規制委員会が九州電力川内原発(鹿児島県)の再稼働に向けた審査書案を原発事故後、初めて了承した。安倍政権下で原発再稼働の手続きが進むが、広島から問題提起は続けなければなるまい。

 国の安全保障、エネルギー政策のいずれもが転換期を迎える中で、来年は被爆70年の節目になる。広島の立ち位置が一層、問われる。

 核兵器の廃絶に加え、何をどう発信していくのか。被爆地に突き付けられている重い課題といえよう。

(2014年8月7日朝刊掲載)

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