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被爆69年で伝える決意 ピースボランティアの川本さん

 心に、体に傷を負った被爆者たちが6日、広島市内でそれぞれの体験を語った。69年の歳月は、遠い記憶を薄れさせる。いまこそ、伝え始めたい、語り継ぐとの覚悟から。核兵器廃絶と世界平和を願う「原点」の言葉が被爆地に満ちた。

原爆孤児の苦悩語る

 戦争の残酷さを知ってほしい―。原爆孤児としての体験が平和宣言で紹介された被爆者の川本省三さん(80)=広島市西区=が、この日もピースボランティアとして原爆資料館(中区)に立った。「石ころをしゃぶるほど飢え、生きるために何でもやるしかなかった」。仲間たちの過酷な暮らしを語る口調は熱を帯びた。

 東館2階。靴磨きをする孤児の写真の前で、その意味を説いた。「両親を失った子どもたちは露天商から食べ物を盗み、『ヤクザ』の仕事を手伝うしか生きる道がなかった」。録音した横浜市の幼稚園教諭加藤リカさん(42)は「5歳の長男に聞かせる。核兵器や戦争について何かを感じてくれたら」と聞き入った。

 69年前、袋町国民学校(現袋町小、中区)6年生だった川本さんは神杉村(三次市)に疎開していた。原爆で両親ときょうだい3人を一度に失い、生き残った姉も翌年2月に白血病で亡くした。入市被爆した川本さんは縁あって伴村(安佐南区)の村長に引き取られたが、街をさまよいながら死んでいった孤児の姿を忘れない。10年ほど前から語り続けてきた。

 家庭を持たず、今も1人暮らし。「あの悲惨さをきちんと伝え、平和について考えてもらうのが私の務め」と覚悟している。(菊本孟)

(2014年8月7日朝刊掲載)

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