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亡き母と初の式典 広島の胎内被爆・寺田さん 被爆69年…思い新たに「語り継ぐ」

 「あの日」の記憶はない―。だが、ヒロシマの若者だから、被爆した母から命を授かった子だからこそ、二度と繰り返してはならない過去を語り継ぐ使命感がある。原爆の日の6日、広島市中区の平和記念公園一帯で、市民たちが平和を求める決意を発した。

 原爆で全盲になりながら生き抜いた母の戦後が、ようやく終わった。原爆胎内被爆者全国連絡会(広島市中区)に参加した安佐南区の寺田美津枝さん(68)は、昨年8月に94歳で亡くなった母、福地トメ子さんの名が記された原爆死没者名簿が奉納される平和記念式典に初めて参列した。母の記憶と自らの平和への思いの発信へ、新たな一歩を踏み出した。

 美津枝さんは、兄の福地勝弘さん(74)=西区=たち親族3人とともに、遺影を携えて式典に臨んだ。名簿が原爆慰霊碑に奉納されるのを見届け、「一つの区切り。よい供養になりました」とほほ笑んだ。

 トメ子さんは原爆の爆風で飛び散ったガラス片が両目に刺さり、失明した。おなかの中にいた美津枝さんの顔を一度も見ぬまま、育て上げた。生前、「(米大統領の)オバマさんが広島に来たら、はぐいい(悔しい)と言うよ」と繰り返していたという。

 一方、被爆の記憶がなく「被爆者としての実感がなかった」という美津枝さんはこれまで式典に参加しなかった。母の死後、少しずつ胎内被爆者としての自覚を強め、5日発足した連絡会に加わった。

 式典後、美津枝さんは「これからは私の戦後が始まる。最も若い被爆者として、母が生きた証しを語り継ぎたい」と前を向いた。(和多正憲)

(2014年8月7日朝刊掲載)

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