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社説・コラム

2014平和のかたち~ヒロシマから 届ける思い…追悼式会場で聞く

 広島は6日、政府が集団的自衛権の行使を容認して初めて原爆の日を迎えた。被爆から69年。被爆者は老いを深め、アジア各国との関係悪化も懸念される。平和を実感できる国なのか、核兵器をどう廃絶するのか。平和記念式典などの追悼式会場で参加者たちに聞いた。

復興の歴史に学ぶ/当たり前の幸せに感謝/この国は平和か

互いの価値観尊重を/広島避けていた/子どもの願い聞いて

オーストリアの大学1年 ターニャ・イーデルさん(20)

 広島にとって特別な日を知りたくて初めて訪れた。原爆が投下された悲しい歴史を持つ街という認識だったが、穏やかで平和に満ちた場所だった。平和記念公園は木が多く、大きな川に面し、眺めも素晴らしい。

 世界に目を向ければ、シリアやイスラエルといった中東などで頻繁に殺し合いが起きている。使用される恐れがある核兵器の保持は一刻も早く禁止されるべきだ。焼け野原の絶望から、想像以上に美しい街に復興を遂げたヒロシマの歴史に学び、私たちの世代の平和構築に生かしたい。

広島大大学院生 栗原大さん(24)=東広島市

 広島で育ち平和教育も受けてきた。「戦争にだけは行くなよ」。被爆した祖母(83)も僕に語り掛ける。でも、中国、韓国との領土問題のニュースを見ると、葛藤に揺れる。武力での解決はいけない。しかし、日本が集団的自衛権の行使を容認してこなかったため、足元を見られているのかもしれない。対話で解決できるのなら解決したい。

 歴史認識の食い違いから領土問題や戦争は起きるのだろう。自分の国の歴史だけでなく、各国が主張する歴史を知ろうと思う。互いの価値観を尊重することが平和への第一歩だから。

会社社長 植野克彦さん(81)=高知市

 母校に当たる広島大付属中の生徒たちに被爆体験を話した。当時は1年生。背中や脚に大やけどを負い、意識が戻った時、戦争は終わっていた。昔を思い出したくないと広島を避け、体験を語る気もなかった。

 しかし、証言活動をする同級生を見て、戦争の愚かさを次代に訴えてこなかった自分を反省し、ことし5月から語り始めた。集団的自衛権の行使容認や憲法9条改正に向けた政府の動きにも危機感を覚える。私も80歳を超え、命が燃え尽きるまで使命感を持って続けていく。若くして亡くなった同級生のためにも。

無職 中本マサコさん(85)=広島市南区

 あの日、女子挺身隊(ていしんたい)として作業中に被爆した。陸軍にいた兄と父を原爆で亡くし、学徒動員中にやけどを負った姉も23日後に息を引き取った。戦争と原爆に家族を引き裂かれた。

 亡くなった家族が残してくれた命と思い、生きてきた。毎日食べるものに困らず、大切な人と一緒に過ごせることが、どれだけ尊いことか。誰もが今では当たり前の幸せに感謝できれば、争いは起きないはず。23年前から毎年8月6日、3千羽の折り鶴を原爆の子の像に届けている。家族の冥福を祈り、今の幸せが続くのを願って折り続ける。

湯来原爆被爆者の会会長 桜井賢三さん(83)=広島市佐伯区

 戦争を知らない世代の首相たちが決めた集団的自衛権の行使容認に戦中と同じ風潮を感じる。恐ろしい状況だ。当時、周りの大人は「米国は悪者だ」と話していた。今の政府も中国や韓国に対する警戒心をあおっているようで、私には同じように映る。他国と戦争するようになれば自衛隊への入隊は減り、やがて徴兵制へつながるのではないか。

 佐伯区湯来町の平和行事に参加し、中学生に私たちが編んだ被爆者の証言集を初めて朗読してもらった。体験を読み伝えることで、核兵器をなくして平和を分かち合う未来を託したい。

資源リサイクル業 吉田章さん(65)=呉市安浦町

 被爆死した旧国鉄職員の兄の腕時計は8時15分で止まっていた。18歳だった。若い息子を亡くした両親のつらさを思うと、絶対に原爆はあってはならない。慰霊式典に出席し、あらためて感じる。

 憲法9条改正を主張する政治家などが出ているのが気になる。改正には反対だ。もしそうなれば世界が日本を見る目が変わり、自衛隊は脅威と捉えられる。隊員が戦地で亡くなる可能性も出てくるだろう。彼らの親に、私の親と同じ思いをさせてはならない。孫やその世代に兄の話を伝えていきたい。

主婦 光井律子さん(58)=大竹市

 隣国の中国、韓国との関係が危うい方向に進んでいると感じている。領土や従軍慰安婦の問題、首相の靖国神社への参拝…。国家間の対立はますます深まっている。そんな中、各地で起きている「ヘイトスピーチ」に違和感を覚える。

 私には米国に移住した親戚がいる。「自分の周りの人が海外で差別されたら」と想像してほしい。外国に不満があったとしても、大声で悪口を言うだけでは解決しない。国同士がいがみ合っていても草の根交流は別だ。まず、国民一人一人が歩み寄る姿勢を示し合うべきだ。

長崎商高3年 杉野綾香さん(17)=長崎市

 この国は本当に平和なのだろうか。戦争はなくても全国でいじめや痛ましい事件が後を絶たない。身近なところから平和を目指さないといけない。私たちにできることは仲間を傷つけたり、いじめたりすることを許さないこと。

 姉妹校の市立広島商高の原爆死没者慰霊祭に参列するため、初めて広島を訪れた。核兵器廃絶に向け、ナガサキだけ、ヒロシマだけでメッセージを発信していては弱い。二つの被爆地が手を取り合い、世界に向けて平和への願いを発信していきたい。私たち若い世代にその責任がある。

主婦 植田䂓子さん(82)=広島市東区

 小網町(現広島市中区)で建物疎開作業をしていた当時12歳の妹は行方不明のまま。作業現場から父が制服の上着を持ち帰った。69年がたったが、心のどこかであきらめきれない。街中に遺体があった。あんな光景は二度と見たくない。戦争はしてはいけない。

 現在の日本に危うさを感じている。戦争を知らない人が政治を担うとき、集団的自衛権の行使を認める動きが起こる。若い人たちには、なぜ日本が戦争に向かったか。歴史をしっかり学んでほしい。私たちのような思いを絶対してほしくないから。

会社員 竹中千琴さん(33)=大阪市西成区

 集団的自衛権の行使について6歳の長女に聞いてみた。「誰かと誰かがけんかするのを手伝ってと言われたらどうする?」と。すると「両方にけんかをやめてって言って」と返ってきた。幼い子が戦争放棄の本質を突いていて、私自身は戦争を身近に考えていなかったのではと自覚した。

 長女と一緒に初めてヒロシマを学びに来た。原爆で両親を失った孤児の体験談が胸に刺さった。戦争の影響を強く受けるのは一番弱い子ども。国同士の争いを「やめて」と言う子の願いを、私たち親は世界に届けないといけない。

(2014年8月7日朝刊掲載)

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