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被爆ピアノで慰霊の調べ 岩田さん(広島市西区)愛用 修理終え平和公園で演奏会 

 被爆69年となる原爆の日を迎えた6日、雨に包まれた広島市中区の平和記念公園を中心に、一瞬で奪われたあまたの犠牲への祈りが続いた。高齢をおして痛ましい体験を語ってきた被爆者たち。若い世代も、あの日を心に刻み、伝えようと動き始めている。

自分の代わりに音で語って

 原爆の傷を刻んだ被爆ピアノがまた一つ、よみがえった。西区の元音楽教師岩田守雄さん(80)が愛用し、ともに被爆したピアノ。修理を終え、雨上がりの平和記念公園であったコンサートで慰霊と継承の調べを奏でた。聞き入った岩田さんは「すばらしい音色。自分の代わりにいつまでも語り継いでほしい」と願った。

 岩田さんの次男の妻晃美さん(46)=西区=が童謡「赤とんぼ」など3曲を演奏。一帯は重厚感ある音に包まれた。新潟県佐渡市から原爆の日に合わせて訪れた小学校教諭、天沢明里さん(28)は「原爆を生き延びたと聞くと、音から生命力をもらえる思いがする」。

 ピアノは大正期に製造されたヤマハのアップライトで、音楽教師だった岩田さんの父が購入。あの日、爆心地から約2キロの舟入川口町の自宅にいた岩田さんは爆風に飛ばされ、頭に大きな傷を負う。ピアノも側面に無数のガラス片を浴びた。

 戦後は父と同じ音楽教師として生きた岩田さん。請われれば体験を話したが、還暦を前に手足や舌の筋肉がやせる難病にかかった。「もう言葉で語れない。自分の代わりに音で語ってほしい」と、被爆ピアノの演奏会を各地で開いている調律師矢川光則さん(62)=安佐南区=に4月、託していた。

 矢川さんによると、ピアノを修理中に、ガラス片と土塊が出てきたという。演奏を聴き終えた岩田さんは幸せそうにピアノに優しく語り掛けた。「長年付き合ってくれてありがとう」(加納亜弥)

(2014年8月7日朝刊掲載)

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