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妹思い出すと涙/身近な幸せに感謝 広島各地で慰霊祭 被爆69年

 ◆原爆死没者慰霊行事(平和記念公園)
 被爆者や遺族たち約300人が、原爆供養塔前に参列した。主催した広島戦災供養会の田口晴久会長(72)はあいさつで「身元の分からない遺骨がいまだ多い」と述べ、平和を願った。山崎晃伺さん(73)=安佐北区=は「母は被爆死した父の遺骨が入った箱を抱えて泣いていた。その姿が忘れられない」と話し、妻と献花した。

 ◆広島二中原爆死没職員・生徒70回忌追弔法会(中区中島町)
 旧制広島二中(現観音高)の卒業生や遺族たち約250人が集まった。慰霊碑に刻まれた名前を確認する姿もあった。竹内葉子さん(71)=安佐南区=は、当時1年生で亡くなった叔父萃(あつむ)さんをしのび、「若い命を奪う戦争や原爆は二度とあってはならない。人を気遣い合う心を育み、平和な世を築いてほしい」。

 ◆県動員学徒等犠牲者の会原爆追悼式(平和記念公園)
 被爆者や遺族、観音中(西区)の生徒たち約300人が動員学徒慰霊塔の前で黙とう。同中3年河野力さん(15)は「身近な幸せに感謝し、平和の輪を広げる」と誓った。証言活動を続ける被爆者寺前妙子さん(84)=安佐南区=は降りしきる雨に「犠牲者の悲しみの涙。生かされた者として、平和のために尽力する」と空を仰いだ。

 ◆広島赤十字・原爆病院原爆殉職職員ならびに戦没職員慰霊式(中区千田町)
 職員や入院患者たち約120人が参列し、碑に花を手向けた。石田照佳院長は「現在も一日に250人の被爆者が通院している。核兵器のない世界の実現を」と訴えた。看護師三上文子さん(41)=南区=は「必死で看病を続けた先輩たちを誇りに思う。原爆も戦争も二度とあってはならない」と話していた。

 ◆広島郵便局原爆殉職者慰霊祭(南区比治山町)
 慰霊碑のある多聞院であり、遺族や職員約100人が犠牲者288人をしのんだ。読経に続いて、参列者全員が順に焼香した。父三郎さんの追悼に訪れた岩村斉さん(68)=安佐南区=は胎内被爆者。「父の顔は写真でしか見たことがない。戦争はどちらが悪いということではないが、二度とあってはならない」と話していた。

 ◆国土交通省(旧内務省)原爆殉職者慰霊式(平和記念公園)
 原爆ドームそばの慰霊碑前に、中国地方整備局の職員や遺族たち約100人が集まった。迫井カヅヱさん(85)=堺市=は妹の辻本元枝さん=当時(14)=を失った。「思い出すと涙が出るばかり」。初めて娘と孫、ひ孫の4世代で訪れ「参列できるのはことしが最後かも。妹を忘れないで」と家族に語り掛けていた。

 ◆広島高等師範学校付属中原爆死没者・戦没者慰霊追悼の集い(南区翠)
 広島大付属中・高の正門そばの慰霊碑前であり、卒業生や被爆者、同中1年生たち計約220人が参列。黙とうした後、献花した。碑は2005年の創立100周年を機に立った。建立に携わった新井俊一郎さん(82)=南区=は「若い世代が原爆や戦争の恐ろしさを考えるきっかけになれば」と祈るように話した。

 ◆広島大原爆死没者追悼式(中区東千田町)
 遺族や大学職員、学生たち約70人が追悼碑前に参列した。浅原利正学長と遺族代表が原爆死没者名簿を碑に納めた後、参列者は碑に水を掛けた。職員だった父を亡くした主婦平岡敏枝さん(74)=佐伯区=は「母は父の死後一人で6人の子どもを育てた。原爆で家族を亡くすことが二度とないように」と願った。

 ◆県職員原爆犠牲者追悼(中区加古町)
 職員や遺族たち約130人が旧県庁跡の慰霊碑前で犠牲者を悼んだ。山本浩子さん(72)=廿日市市=は、県職員だった父一男さん=当時(39)=をしのび、妹陽子さん(69)とほぼ毎年訪れている。「父との記憶はないが、周囲から『素晴らしい人』だと教えられ、誇らしく思った。もっとたくさん関わりたかった」とうつむいた。

 ◆嵐の中の母子像供養(中区中島町)
 広島市地域女性団体連絡協議会の約30人が出席。月村佳子会長(70)=西区=の献花に続き、全員で手を合わせた。被爆直後の広島に医薬品を届けたスイス人医師マルセル・ジュノー博士の顕彰碑にも花を手向けた。月村会長は「核兵器のない社会が訪れるよう、女性の力を結集して取り組む」と決意を新たにした。

 ◆県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼式(中区小町)
 県立広島第一高等女学校(現皆実高)の卒業生や遺族、在校生たち約200人が参列。建物疎開の作業などで犠牲になった生徒と教職員301人を悼んだ。1年生だった妹を亡くした吉田敏子さん(90)=西区=は、神戸市で暮らす次女、孫たちと一緒に出席した。「家族に囲まれて参列できる私は幸せ」と静かに語った。

 ◆県被団協(坪井直理事長)原爆死没者追悼慰霊式典(中区基町)
 会員や遺族たち約200人が犠牲者を追悼した。学徒動員中に被爆した福原久江さん(84)=三原市=は「同級生が一人、また一人と亡くなり、すごく寂しい」と嘆く。あの日、広島市内で多くの人が苦しんでいた姿が忘れられず、「二度と核兵器が使われないように」と願いを込めて献花した。

 ◆原爆犠牲新聞労働者「不戦の碑」碑前祭(中区加古町)
 原爆に命を奪われた新聞社や通信社の社員を悼む碑に、遺族や新聞労連の役員たち約50人が集まった。宇田礼子さん(80)=西区=は、中国新聞社の社員で中区平塚町にあった家で被爆死した姉前田英子さんを追悼。「姉は面倒見がよくて、優しかった。ことしも元気な姿を見せることができた」と花を手向けていた。

 ◆国鉄原爆死没者慰霊式典(中区東白島町)
 遺族やJR西日本の社員たち約100人が慰霊碑前に集まり、黙とう。現役の社員や旧国鉄時代の退職者たちでつくる合唱団が「原爆を許すまじ」を歌った。父を亡くした吉田公子さん(88)=防府市=は「父は背中に大やけどを負いながら、最期まで意識を保っていた」と話し、核兵器廃絶を願った。

(2014年8月7日朝刊掲載)

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