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広島被爆69年の8・6ドキュメント 元安川に献水/5000個の灯

 被爆69年となる原爆の日を迎えた6日、雨に包まれた広島市中区の平和記念公園を中心に、一瞬で奪われたあまたの犠牲への祈りが続いた。高齢をおして痛ましい体験を語ってきた被爆者たち。若い世代も、あの日を心に刻み、伝えようと動き始めている。

冷たい水で痛みを和らげて

  0・00 大粒の雨が降り注ぐ原爆ドーム前。傘を差しながら弟2人を失った悲しみを語る被爆者の声に若者5人が耳を澄ます。早稲田大3年岩垣梨花さん(21)=埼玉県所沢市=は「つらい体験を話してくれた。若い世代に何ができるか、真剣に考えたい」。

  0・10 「走ることで福島と広島、長崎をつなぎ、平和の尊さを発信したい」。長崎市まで約400キロの道のりに挑む無職川村和広さん(47)=福島市=が平和記念公園をスタートした。

  1・05 祖父が被爆死した南区の飲食店店員福田成悟さん(52)は20年来、原爆の日の未明に原爆慰霊碑を訪ねる。「遺骨も見つからなかった。犠牲者の冥福と平和を祈るのに天気は関係ない」。そっと線香を手向けた。

  2・00 爆心地に近い元安橋。西区の看護師黒崎美保さん(42)が氷で冷やした水を川にまいた。「炎に包まれ、亡くなった人もいる。冷たい水で痛みを和らげることができれば」。5年前から「献水」を続ける。

  4・05 「また来たよ」。安佐北区の被爆者岡田昭典さん(86)は慰霊碑を前に心の中でつぶやいた。17歳の時、学徒動員先の霞町(現南区)で被爆し、多くの友人を失った。「原爆が憎い。この思いを若い世代に伝えたい。黙っていてはいけん」

  4・50 「原爆で亡くなった人の分まで大切に生きなければ。その思いを子どもにも知ってほしくて」。安佐南区の主婦熊中美枝さん(40)は2人の娘を連れて慰霊碑を訪れた。長女(11)は雨にぬれながら、小さな手を合わせた。

  5・30 午前8時開始の式典に向け、急ピッチで準備が進む。かっぱ姿の市職員たちが忙しく動く。

  6・20 専門学校生橋本昌之さん(20)=京都府福知山市=が原爆ドームを写真に収めた。広島を訪れるのは小学校の修学旅行以来、2回目。「祈りの日の広島の雰囲気を肌で感じたい」。友人とドームをいろんな角度から眺めて回った。

  7・00 平和学習で広島を訪れている米国オハイオ州の大学3年ジェーン・パウエルさん(21)が慰霊碑に献花。「非人道的な核兵器が再び使われることがあってはならない」。広島で聞いた被爆者の声を思い出し、言葉に熱がこもった。

  7・40 「平和が続くよう、心を込めて」。本川橋近くで、東区の牛田小4年岩井優里さん(9)が、献花台に供える菊の花を笑顔で参列者に手渡した。

  8・00 爆心地の島病院(現島外科内科)前。会社員森すぐるさん(48)=さいたま市=は集団的自衛権の行使を可能とした閣議決定について「戦争ができる国になろうとしているのではないか」。いつになく落ち着かない朝を迎えた。

  8・15 福島県南相馬市の仮設住宅に住む楽伸一郎さん(75)が慰霊碑に向かい、黙とう。仮設住宅暮らしは3年目を迎えたが、被災地復興の道のりは依然険しい。「広島の人たちが壊滅した街をどう復興させたのか。学んで帰りたい」と力を込めた。

 10・25 雨もやみ、原爆の子の像前で府中町の主婦中村由利江さん(63)が像のモデルになった佐々木禎子さんの生涯を紹介する紙芝居を披露。「祈るだけでなく、像ができたいきさつを知ることで、生きる尊さを感じてもらいたい」

 13・30 西区の観音小6年末宗樹里さん(11)は広島国際会議場で折り鶴を作った。紙にはさまざまな国の国旗が描かれ、「知らない国がたくさんあるけど、どの国も仲良くして戦争のない世界になればいいな」。

 15・15 原爆資料館から見学を終えた人たちが続々と出てくる。静岡文化芸術大4年井上結依さん(21)=浜松市=は「遺品を見て、人々の生活を突然奪った原爆の残酷さが伝わり、悲しくなった」と声を落とした。

 18・55 辺りが暗くなり始めた元安川に南区の会社員小川幸雄さん(69)が孫娘(14)と灯籠を浮かべた。「私が生まれて2カ月後、父は31歳の若さで被爆死した。さぞ無念だったろう。子や孫といつまでも幸せに過ごせるよう見守ってほしい」。2人で手を合わせ、水面を見つめた。

 19・30 原爆ドームを囲み、約5千個のキャンドルに火がともる。東区の市職員奥野博文さん(47)は「つながった光の輪のように、世界が手を携えていける世の中になってほしい」。妻(47)、長女(11)と、ともしびに願いを託した。(金刺大五、加茂孝之、和泉恵太、河合佑樹)

(2014年8月7日朝刊掲載)

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