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文化勲章に三宅一生氏 

 政府は26日、広島市東区出身の服飾デザイナー三宅一生さん(72)ら7人に2010年度の文化勲章を贈ることを決めた。


大きな後押しいただいた 三宅さん

■記者 道面雅量

 「功成り名を遂げたご褒美ではなく、これからやることへのエールと受け止めたい。大きな後押しをいただいた」。服飾デザイナーの三宅一生さんは、東京都内の事務所で受章の喜びを語った。

 「一枚の布」を発想の原点に、西洋でも東洋でもない、衣服の本質に根差すデザインを追求。縫製後にプリーツ(ひだ)を施した代表作は、体形を問わず優美に人を包み、世界中で愛用されている。

 繊維や縫製工場の海外移転が進み、「日本のもの作りの力が衰退している」と危機感を募らせる。「技術者、企業と力を合わせ、新しい素材と技術による新しいデザインを生み出したい」。いっそうの決意を込めた。


文化勲章 三宅一生さん 「壁を破る」挑戦一生


■記者 道面雅量

 「多くの人に支えられた新プロジェクトの励みになる」。26日、文化勲章受章が決まった広島市東区出身の服飾デザイナー三宅一生さん(72)は、受章の喜びを次の仕事に注ぐ。デザインの「壁」を破ってきた歩みは続く。

 東京都渋谷区の三宅デザイン事務所。三宅さんがスタッフに矢継ぎ早に指示を出す。「日本のもの作りの力を支え、伸ばしたい」。技術者や繊維企業と連携し、環境に優しい再生繊維の布によるデザインを開発中だ。

 壁を破る―。その姿勢は美大生時代から見える。1960年、東京であった「世界デザイン会議」で、服飾デザインの分野がないことに憤り、質問状を送った。「主催者が反応し、門戸を広げるきっかけになった」

 卒業後、高級店で修業したパリでは、学生たちの反乱「5月革命」(1968年)に衝撃を受ける。「もう、金持ちや貴族が相手のオートクチュール(仕立て服)の時代じゃない」

 既製服の街、米ニューヨークへ転じ、帰国後の1970年に事務所を設立。新しい時代の服へ挑戦を始めた。伸縮自在に人を優しく包む「プリーツ・プリーズ」は、国境や階層を超え、今も愛用者を増やしている。

 昨夏、米紙に被爆体験を公表し、オバマ大統領に広島訪問を促した。「私が知る60~70年代の米国は有色人種への差別がひどかった。その壁を破った彼に、核兵器廃絶への壁も破ってほしい」

 過去を語るのを好まない三宅さん。ためらいを振り切ったのは、自分の信念との共鳴を感じたからだった。

(2010年10月27日朝刊掲載)

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