父の形見 被爆の弘法大師像 資料館に寄贈
10年10月29日
■記者 新田葉子
広島市西区の被爆者村上弘子さん(79)が28日、被爆死した父の形見の弘法大師像2体を中区の原爆資料館に寄贈した。
村上さんと両親が住んでいた楠木町1丁目の家は65年前、原爆で倒壊。横川に仕事で出ていた父は頭から背中に大やけどを負い、約2カ月後に亡くなった。
仏像は高さ約15センチと、約9センチの2体。1階の仏壇にあり、倒壊とともに土に埋もれていたのを母が掘り出した。父のやけどの場所と仏像の欠けた場所が似ており、母は「骨も分からなくなる人が多いなか、短い時間だったとはいえ私たちを会わせてくれた」と大切にしていたという。
母の死後は村上さんが形見として守ってきた。ただ9年前に夫を亡くし、1人暮らしでもあるため寄贈を決意。この日資料館学芸員に「大切な思い出の品。たくさんの方に見てほしい」と託した。
(2010年10月29日朝刊掲載)
広島市西区の被爆者村上弘子さん(79)が28日、被爆死した父の形見の弘法大師像2体を中区の原爆資料館に寄贈した。
村上さんと両親が住んでいた楠木町1丁目の家は65年前、原爆で倒壊。横川に仕事で出ていた父は頭から背中に大やけどを負い、約2カ月後に亡くなった。
仏像は高さ約15センチと、約9センチの2体。1階の仏壇にあり、倒壊とともに土に埋もれていたのを母が掘り出した。父のやけどの場所と仏像の欠けた場所が似ており、母は「骨も分からなくなる人が多いなか、短い時間だったとはいえ私たちを会わせてくれた」と大切にしていたという。
母の死後は村上さんが形見として守ってきた。ただ9年前に夫を亡くし、1人暮らしでもあるため寄贈を決意。この日資料館学芸員に「大切な思い出の品。たくさんの方に見てほしい」と託した。
(2010年10月29日朝刊掲載)