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父の生きざまを次代に 被爆2世の佐藤さん「語り部」目指す 長崎原爆の日

 原爆投下から69年を迎えた9日、長崎は平和への祈りと静かな怒りに包まれた。国の在り方に広がる不安。「戦争が憎い、核兵器が憎い」と訴える被爆者から、平和のバトンを受け継ごうとする人たちがいる。長崎市長は平和宣言で「集団的自衛権」に触れて問いかけた。平和の原点は揺らいでいないか―。被爆地の声に日本政府はどう答えるのか。

 「父は常に体に不安を抱えながら、被爆の実情を語り続けてきた。その生きざまを伝えたい」。長崎原爆から69年が経過し、実際に体験した人々は多くが亡くなった。悲劇を繰り返さないため、経験をどう語り継ぐかは大きな課題だ。「語り部」を目指す被爆2世の佐藤直子さん(50)=長崎市=は「被爆者の苦痛や思いを風化させないよう、次世代に橋渡しするのが使命」と誓う。

 父池田早苗さん(81)は現在も小中学生らに体験を語っている。12歳で被爆。きょうだい5人全員を原爆で亡くし、3歳の弟を1人で火葬した。「弟は関節の音をぐしぐしと立てて火の中に消えていった」と惨状を伝える。

 原爆で体調を崩した両親に代わり、中学中退で働いた。大病を繰り返しながら定年まで勤めた後、語り部を本格的に始めた。

 手帳が真っ黒になるほどの頻度で語り部をし続けていた2011年6月、疲れからか転倒して腕を骨折した。活動継続に不安を感じ「語り部を真剣に考えてくれ」と娘の佐藤さんに頼んだ。

 佐藤さんの長男秀太君(15)はこの時、原爆投下時の池田さんと同年代。「別世界の話と思っていたが、父と私の子の間に重なる部分をみた」と決心を固めた。朗読ボランティアの育成講座を受け、被爆者から話も聞いた。現在は長崎原爆被災者協議会の「被爆二世の会」会長も務める。

 今年7月27日、長崎原爆資料館。有志が作成した、池田さんの半生を描いた紙芝居を、佐藤さんが朗読した。「戦争が憎い、原爆が憎い、核兵器が憎い」。01年の長崎の平和祈念式典で池田さんが訴えた「平和への誓い」の一節を、力強く読み上げた。

 目の前で聞いた池田さんは涙が止まらなかった。「過去を思い出して我慢できなかった」

 聴き終えた池田さんは「娘は被爆体験がなくても、私の苦労を知っている。それだけで説得力が違う」と評し、「頼もしい。もう自分に何かあっても安心だ」と笑顔を見せた。

 佐藤さんは「父や私の活動を理解し、この先を引き継いでもらいたい」と、秀太君と次男良太君(10)を可能な限り、不戦の集いなどの平和活動に連れて行く。佐藤さんによると、8月9日生まれの良太君は池田さん似。池田さんは「亡くなったきょうだいの代わりに生まれてきたのかもしれない」と穏やかに語った。

 佐藤さんは9日の平和祈念式典に参列。「来年の被爆70年には、語り部として活動しているはずだ。自分が継承しないと後が続かない気持ちでいる」と決意を述べた。

(2014年8月9日朝刊掲載)

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