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社説・コラム

社説 長崎原爆の日 ノーモア戦争こそ原点

 広島市の平和宣言では聞こえてこなかった「集団的自衛権」の6文字を、きのうの長崎市は盛り込んでいた。

 長崎では、被爆者や研究者たちでつくる起草委員会の議論がじかに、平和宣言の中身を左右する。宣言に織り込む被爆体験選びを市民に求めている広島の懇談会との温度差が表れたのかもしれない。

 長崎のそれは、政府の性急さを問いただし、市民の「不安と懸念」が拭い切れていないと指摘した。ただ、そこからさらに踏み込み、政府の姿勢に対する是非を鮮明に打ち出したとまでは言い切れまい。

 起草委員会から後押しを受けながら、田上富久市長は終始ためらい続けた節がある。

 宣言の骨子を明らかにした今月1日の記者会見でも、なお口ごもっていた。「核兵器のない世界の実現は市民のコンセンサス。一方、安全保障についてはさまざまな考え方がある」と。

 集団的自衛権そのものの認否をはじめ、行使容認の是非、閣議決定という手続きに対する賛否…。一刀両断とはいかない問題が絡み合うだけに、物言いは一筋縄ではいかない。

 市長としての信念にとどまらず、被爆地全体の幅広い市民の意向をくんで発信するという宣言の役割を考えれば、迷うのも当然だろう。

 さらに、被爆者であっても意見が一様とは決して言い難い実情がある。

 全国の被爆者を対象にした共同通信のアンケートで、集団的自衛権の行使容認についての反対は54%だった。賛成の2倍以上とはいえ、「過半数がやっとなのか」と違和感を覚えた人もいるに違いない。

 共同通信の別の世論調査は、とりわけ20、30代で集団的自衛権の行使容認に対する反対が70%近くに上った。こうした若い世代は、被爆者の「声」をどう感じただろう。

 核兵器廃絶と自衛権、さらに安全保障の問題は、果たして切り離して考えるべきだろうか。平和宣言に込められていた一節は、それに対する答えだったと受け止めたい。

 <長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点(略)>

 実は広島の平和宣言にも、響き合う一文がある。

 <政府は(略)日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります>

 集団的自衛権に言及する、しないという二者択一に迫られた被爆地が、期せずして相通じる原点を指してみせた。それが、「ノーモア・ウォー」ではなかろうか。

 その土台となるものは何だろう。田上市長の背中を押した起草委員の一人、土山秀夫・元長崎大学長(89)の警句は胸に刻んでおかねばなるまい。「無念の思いでこの世を去った多くの被爆者に代わって物を言い、日本のあるべき姿を示す義務が被爆地にはある」

 被爆者の間でも世代交代は確実に進んでいる。いずれは、生々しい語りに頼ることのできない時期がくる。被爆体験だけに基づくのではない、発信の仕方を考え直すときではないか。

(2014年8月10日朝刊掲載)

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