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レンズ越しに被爆者の人生 広島出身の内藤順司さん

■記者 平井敦子

次世代へ生きる勇気を

 50歳を過ぎ、ヒロシマに向き合い始めた写真家がいる。広島市西区出身の内藤順司さん(51)=栃木県日光市。浜田省吾や夏川りみ、スピッツら人気アーティストを撮影するかたわら、アフリカで医療支援に取り組む一人の日本人医師を追いかけた。そして今月から古里で被爆者に向き合う。「閉塞(へいそく)した時代。生きる勇気を撮りたい」

 東区牛田、バス通り沿いにある小さな緑地。「あの日は、ここに?」。カメラを携えた内藤さんが、近くに住む田中稔子さん(72)に語り掛けた。「そう、この近くでね。大きな桜の木があったんですよ」。シャッターの音をリズムに、和やかな会話が弾む。

 今月は古里に1週間滞在し、田中さんを含め6人の被爆者を撮影した。体験にじっくり耳を傾け、その人生を一変させた現場に、できる限り同行する。「その人の顔のすべてを撮りたい。生き続けてきた年輪を写し出したい」。向こう1~2年間で50人の被爆者を取材するつもりだ。

 2歳年上の兄がカメラ好きで、幼いころから写真に親しんだ。大竹高を卒業すると上京し、音楽フォトグラファーを目指した。浜田省吾にほれ込み、撮った写真を事務所に持ち込んだ。オフィシャルフォトを任された。その後、多くのアーティストの仕事が舞い込むようになった。

 音楽にほれ、人物にほれ―。浜田は28年間、スピッツもデビュー当時から19年間、撮り続けてきた。「音楽は人や社会に、勇気や希望を与えるから」とその魅力を話す。

 転機は5年前だった。偶然見たテレビ番組が、外務省の医務官の職を捨て、アフリカ北東部のスーダンで人々の命を救う川原尚行さんに密着していた。「どういう生き方をしてるんだ」。猛烈に気になった。

 2007年から09年まで4回渡航し、延べ約100日間滞在した。間近に見た川原さんは、怒ったり、悔しがったりしながらもスーダンの魅力に引き付けられていた。その姿は聖人君子ではなく、一人の生身の医師だった。その懸命な活動と、瞳を輝かせている現地の人たちをファインダー越しに追いかけた。今年3月、写真集「もうひとつのスーダン 日本人医師 川原尚行の挑戦」(主婦の友社)を刊行した。

 レンズは今の日本にも向かっている。閉塞感が列島全体を覆い、就職もままならない長女(25)や長男(19)の世代。自殺者は12年連続で3万人を超える。「生きにくい時代」は歯がゆい。だが、「どうしたら、僕たちは次の世代に生きる力を伝えられるのだろうか」。何に焦点を当て、どんな像を結べばいいのか。

 視線は、生まれ育ったヒロシマへ。祖父母とも被爆者だ。「この年になって僕も、やっと体と心がタフになったかなと思う。これまでの経験を土台に、被爆者と向き合いたい。その生き続けてきた力をとらえたい」

(2010年10月31日朝刊掲載)

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